皆さま、こんにちは。事案分析と解決の設計士、シバケンこと柴田建一です。
博多の街を彩った「どんたく」の活気ある喧騒が過ぎ去り、街路樹の緑が目に鮮やかな、清々しい初夏の風が吹き抜ける季節となりました。大型連休という長い休息を終え、医療現場もようやく日常の慌ただしさを取り戻してきた頃でしょうか。
人生の第4クォーターを全力で走り抜ける63歳の私ですが、日々寄せられる現場の切実な声に耳を傾けるたびに、ある一つの「覚悟」を皆さまに共有したいと強く感じています。
それは、「今はあえて、手間のかかる“めんどくさい手順”を、一つひとつ丁寧に行う時代である」ということです。
「シバケンさん、ただでさえ忙しい現場に何を言っているんだ」という反発の声も聞こえてきそうです。しかし、37年の警察官人生、そして現在の医療ガバナンスの現場で多くの事案を解き明かしてきた「設計士」の視点から言えば、これこそがトラブルを最短で終わらせる唯一の道であり、皆さんの心と身を守る「最強の盾」になるのです。
1. 「阿吽の呼吸」という安全網が消えた時代
私が警察官になったばかりの数十年前は、世の中にまだ「阿吽(あうん)の呼吸」というものが生きていました。何かトラブルが起きても、お互いの胸三寸で「これ以上言ったら人としてどうよ」「お互い様だから、この辺で手を打とう」という、目に見えない共通の自制心がセーフティネットとして機能していたのです。
当時は、言葉にしなくても通じ合う「情」のやり取りがありました。説教一つで「分かったよ、旦那」と矛を収める。そんな人間関係の余白が、トラブルを自然と鎮火させていました。
ところが、現代はどうでしょうか。かつては「当然分かっていること」として省略できたことが、今ではすべて「説明不足」として厳しく指弾されます。一から十まで、いえ、一から十二まで、事実と証拠を積み上げて丁寧に説明しなければ、「誠意がない」「説明責任を放棄している」と、鬼の首を獲ったように徹底的に追及される時代です。
今の時代、かつて感じ取ることができたはずの「行間」は存在しません。「言葉にしない限り、存在しないもの」として扱われるという現実に、私たちはまず向き合わなければならないのです。
2. トラブルを呼ぶ「一言のさじ加減」:処世術としての防衛
現代のハラスメント気質の患者さんやそのご家族は、非常に鋭い観察眼と追及の論理を持っています。彼らが狙うのは、皆さんの対応に生じる「わずかな隙」です。
ここで重要になるのが、現場における「言葉のさじ加減」という高度なプロの処世術です。現場のトラブルを分析すると、そこには大きく分けて二つのパターンが存在します。
① 「一言少ない」という不信感の種
多くのクレームの火種は、ここから始まります。忙しいからと説明の手順を一つ省く、あるいは専門家として「これくらいは理解しているだろう」と判断を端折る。この「一言少ない」対応が、相手には「軽んじられた」「説明を隠された」という不信感を与え、攻撃の免罪符を与えてしまうのです。
② 「一言多い」という火に注ぐ油
その一方で、丁寧な説明を心がけるあまり、余計な私見や感情的な物言いを混ぜてしまう「一言多い」ケースも後を絶ちません。説明の場における、相手の自尊心を逆撫でするような一言や、感情が透けて見える余計な言葉は、事態を修復不可能なまでに悪化させます。
「説明を尽くす」ということは、単に長く話すことではありません。正確に必要な情報を積み上げ、かつ余計な感情的表現を冷徹なまでに削ぎ落とす。この「一言を惜しまず、余計な一言を慎む」という言葉選びにかける「手間」こそが、現代の危機管理の根幹なのです。
3. 「あえて手間をかける」ことが、最大の合理的解決である
私が提唱したいのは、「あえて、めんどくさい手順を、十二分に踏む」という勇気ある戦略です。経済的な合理性の視点で見ても、これが最も正しい投資です。
想像してみてください。
- 対応A(効率重視):忙しいからと説明を極限まで端折る。その結果、後に「聞いていない」と激昂され、スタッフ全員が数日間にわたる3時間のクレーム対応に追われる。
- 対応B(安全重視):最初に「めんどくさい」と思いながらも、15分かけて徹底的に説明し、記録を残し、確認のサインをもらう。
最終的に、どちらの対応が「迅速」で「低コスト」でしょうか? 答えは明白、Bです。
時間を惜しんで手間を省いた結果、膨大な「損害(時間と精神の摩耗)」を出す。これこそが、現代の医療現場が陥っている最も深刻な罠です。トラブルが起きた時に「必要最小限」で済まそうとするのは、もはや裸で戦場に行くようなものです。
「そこまで言わなくても分かっているだろう」と思うことこそ、あえて言葉にし、丁寧に、泥臭く伝える。この「めんどくささ」を引き受けることこそが、現代における最強の自衛策なのです。
4. 法廷のリアル:証拠が「心証」に敗れる瞬間
私は警察官として37年、手続きの一つひとつを疎かにできない世界に身を置いていました。そこで学んだのは、「正義だけでは勝てない」という厳しい現実です。
どれだけ完璧な証拠が揃っていても、裁判所という場所では、たった一つの証言や、裁判官が抱く「心証」一つで、それまでの何年もの努力がすべてひっくり返ってしまう。そんな理不尽とも言える光景を、私は何度も目の当たりにしてきました。
裁判官が「この医師は患者に対してあまりにも不誠実な対応をしていたのではないか」と感じた瞬間、法的な天秤は一気に傾きます。医療現場も全く同じです。悪意を持って隙を突こうとする相手に対し、最後に自分を守ってくれるのは、一見過剰とも思える手順の積み重ねだけです。
- 「ここまで詳細に説明を尽くした」
- 「このリスクについても、明確な合意を得た」
- 「そのやり取りの内容を、漏れなく正確に記録した」
官公庁やマスコミが使う「適切なコミュニケーションを」という綺麗な言葉だけでは、この泥臭い現場の防衛戦は戦えません。必要なのは、法廷に立たされても「やるべきことはすべてやりました」と言い切れるための、執拗なまでの「手順の完遂」なのです。
5. 「現場の盾」としての誓い
医療法人の理事長、院長の皆さん。そして、日々最前線で神経を削りながら働くスタッフの皆さん。
「昔はもっと楽だったのに」「今の患者さんは細かすぎる」と嘆きたくなる気持ちは、痛いほど分かります。私も皆さまと同じ世代ですから、その変化の厳しさは誰よりも理解しているつもりです。
しかし、時代は変わりました。かつての「勘」や「情」に頼るのではなく、「徹底した説明」と「誠実な手順」を、あえて選択しなければならないのです。
「福岡医療カスハラ研究所」の所長として、私は皆さんにこう伝えたい。「めんどくさい」と感じた瞬間こそが、安全への分岐点です。
その数分の手間が、皆さんの数日間、あるいは数ヶ月間の平穏を守ります。私はこれからも、きれいごとではない「確実に身を守り、二度とトラブルを再燃させない、泥臭くも確実な方法」を伝えていきます。
現場で汗をかきながら、一から十まで説明し続ける皆さんの姿。それは決して「要領が悪い」のではありません。プロフェッショナルとしての最高に誇り高い防衛の姿です。
もし「どう説明すればいいか分からない」「相手の追及が怖くて動けない」というときは、すぐに私を呼んでください。37年の経験をもとに、皆さんの代わりに「プラスアルファ」のロジックを組み立て、盾になります。
これからも私、シバケンは、皆さんと一緒にこの「手間のかかる時代」を正々堂々と生き抜いていきます。
次回のブログでも、現場のリアルに切り込んでいきます。 それでは、福岡の医療現場に、揺るぎない安心を。
事案分析と解決の設計士 柴田 建一(シバケン)
