【医療ガバナンス】過剰な同意書が命のインフラを削る?最高裁「乳がん説明義務判決」の功罪と、プロの信託を取り戻す組織的防衛の設計図

執筆:事案分析と解決の設計士 柴田 建一(シバケン)

■ 【はじめに】:医療現場で静かに進行する「判断の放棄」という危機

皆さま、こんにちは。事案分析と解決の設計士、シバケンこと柴田建一です。

初夏の爽やかな風が吹き抜ける季節となりましたが、病院経営や医療安全の最前線に立つ皆さまにおかれましては、日々の過酷な業務と現場の環境確保に、多大なるご尽力をされていることと存じます。

今、日本の医療現場において、ある「静かなる崩壊」が確実に進行しています。それは、患者を守るための善意のルールであったはずの「説明義務」がいつの間にか肥大化し、巡り巡って医療従事者の手足を縛り、日本の医療インフラそのものを内側から激しく削り取っているという、極めて深刻な現実です。

今回は非常に硬く、そして重いテーマですが、私たちが「命」と「社会」の未来を考える上で、絶対に今、皆さんに考えてもらいたい医療安全の核心について全力で書きます。

1.【事案分析】:プロと素人の間にある「圧倒的な壁」を無視した代償

現在の日本の医療文化、とりわけ説明と同意(インフォームドコンセント)のあり方を決定づけた、ある重要な裁判があります。

最高裁平成13年11月27日判決。乳がん治療において、医師が医学的最適と判断した乳房全摘手術を行ったのに対し、別の選択肢である乳房温存療法を提示しなかったことが「説明義務違反」にあたるとして、精神的苦痛に対する慰謝料の支払いを認めた事例です。

この判決は、下級審である高等裁判所の判決理由の変遷などを経て、最高裁において「自己決定権(患者が自らの治療法を自分で選ぶ権利)」を確固たる法的権利として確立させました。患者の尊厳を守るという意味において、この判決の歴史的意義は間違いなく大きいものです。しかし、このルールが社会に浸透していく過程で、私たちはあまりにも大きなものを見落とし、歪んだ解釈を積み重ねてきました。

それが、専門家と素人の間にある「埋められない圧倒的な壁」の無視です。

医療は極めて高度な専門領域です。そこには、医師というプロと、患者という素人の間にある、知識と経験の圧倒的な差が存在します。本来、その差があるからこそ、私たちは専門家である医師に自らの命を「信託」し、最善の判断を委ねてきました。プロの判断を信じて命を託することこそが、医療という関係性の根底にある美徳だったはずです。

しかし、現代のルールはこう迫ります。「どんなに知識や経験に差があっても、あらゆる選択肢を公平に並べ、最終的に決めるのは知識を持たない患者本人である」

この一見、民主的で美しく聞こえるルールこそが、実は現場を窒息させています。専門家が全責任を持って下すべき「最善の判断」の重みを、個人の恣意的な選択と同列に置いてしまった。このボタンの掛け違いが、現代の医療ガバナンスを崩壊させる最大の要因となっているのです。

2.過剰な同意書がもたらす弊害と、医療の本質である「相互コミュニケーション」

この最高裁判決以降、医療業界は全方位での「自己防衛」に走らざるを得なくなりました。万が一にも「説明されなかった」と後から訴えられるリスクを避けるため、あらゆる医療行為において、およそ起こり得ないような微小な確率の合併症までをも網羅した、膨大な量の手続きと説明書、そして同意書が作成されるようになったのです。

今や、病棟も外来も「サインをもらうための作業」であふれかえっています。しかし、これによる弊害は、医療現場の人員インフラを根底から削り取るほど恐ろしいものです。形式的な免責(サイン集め)を急ぐあまり、現場の限られた資源、すなわちマンパワー、時間、そして心のエネルギーが、本来であれば「他に助けられるはずの命」に注がれることなく、書類手続きのために浪費されているのです。

本来、医師の仕事とは何でしょうか。

それは、患者との深いコミュニケーションを重ね、その患者が持つ固有の考えや人生観を丁寧に聞き取り、それらを高度な医学的知見と融合させて「あなたにとって最も適している手術、最も適している治療法はこれです」と、プロとしての責任において決断し、導くことであるはずです。

これこそが最も大事なことであり、医療の本質に他なりません。医師はそのような強い気持ちを持って、しっかりと患者に寄り添う。 そして患者の側も、プロの判断に敬意を払い、医師に協力して信頼関係を継続しながら、共に自分の病気を治していく。この双方向の「相互コミュニケーション」こそが医療の本質であり、あるべき姿なのです。

これらは単なる技術や形式の話ではありません。医師と患者の双方が「共に病に立ち向かう当事者である」という強い意識を持たなければならない、極めて重要な心構えの問題です。

医師側が「プロとしての責任を背負って患者の人生に寄り添う覚悟」を持ち、患者側もまた「医師を信頼し、治療に主体的かつ誠実に協力する覚悟」を持つ。この両者の意識がしっかりと噛み合って初めて、本当の信頼関係が生まれます。

そして、この信頼関係の構築こそが、実はペイシェントハラスメント(ペイハラ)対策の根本であり、最大の基本となります。

お互いに対する敬意と感謝が通い合う「相互コミュニケーション」が現場に確立されていれば、不当な要求や理不尽な暴言といったハラスメントの発生そのものを、限りなくゼロに近づけていくことができます。また、万が一、患者側が感情的になったり誤解が生じたりした時であっても、日頃の対話によって築かれた強固な信頼の土台(基礎)があるため、現場のスタッフは動じることなく、何が正しくて何が不当なのかを毅然かつ正確に判断することができるのです。

過剰な書類に頼る冷淡な「免責」ではなく、プロの責任を胸に秘めた温かい「相互コミュニケーション」を取り戻すこと。これこそが、ハラスメントを防ぎ、医療安全を最大限に高めるための絶対的な鍵となります。

👉 あわせて読みたい参考記事 書類による免責ばかりを優先する「形式主義」が、現場の医師やスタッフの心をどれほど疲弊させ、大切な医療インフラを危機に陥れるのか。その構造的な問題については、こちらの記事で詳しく解説しています。

【医療安全・医療訴訟】形式主義が招く「医師の使命感」の崩壊。安心安全はタダではない https://shibaken-poli.com/wp-admin/post.php?post=509&action=edit

3.【解決の設計】:なぜ今「公共の福祉」が必要なのか、傷つく患者側の努力

ここで、個人の自己決定権というミクロな視点から、社会の基盤を支える「公共の福祉」というマクロな視点へと転換を図る必要があります。公共の福祉とは、一言で言えば「社会全体としての最大幸福」です。

最近の日本の風潮は、個人の権利や自己決定権を「絶対的な正義」として掲げすぎています。もちろん、個人の尊厳は大切です。しかし、一人の人間の選択や権利を無限に肥大化させ、社会や専門家の側が「正しい介入」や「責任ある誘導」を躊躇するようになれば、結果として社会全体の安全や幸福の総量は限りなく小さく、収束していくことになります。

一人の命をプロの判断で全力で救い出すという行為は、単にその人一人を救うことにとどまりません。医師が専門的な妥当性に基づき、プロとしての良心と全霊をかけて命を繋ぎ止めようとする。その「プロの判断への敬意と信頼」が社会の共通ルールとして維持されているからこそ、私たちは「万が一の時も、プロが全力を尽くして助けてくれる」という社会的な安心を共有できるのです。

そして、この安心を社会全体で共有することこそが、ひいては「公共の福祉」そのものへとつながっていきます。「プロへの信頼」という社会インフラが強固であればあるほど、医師は萎縮することなくその能力を最大限に発揮でき、結果として「全体としてより多くの命を救うことができる」という、社会全体の幸福の最大化(公共の福祉)が達成されるのです。

しかし、この不落の信頼インフラを維持するためには、医療従事者側の努力だけでなく、患者側の「医師との信頼関係を共に築いていく努力」が絶対に不可欠です。

今の時代、この患者側の努力や意識があまりにもおざなりになっていっているのではないか、と私は強く危惧しています。「お金を払っているのだから言う通りにしろ」「消費者として完璧なサービスを提供しろ」といった過剰な権利意識が、医療の本質である相互コミュニケーションを破壊しています。

医療は一方通行のサービス業ではありません。患者側も、自らの病気を治し、救われるために医師と手を取り合い、信頼関係を維持し続ける努力を払わなければならない。この当たり前の義務を社会全体が思い出すことなしに、真の医療安全も、公共の福祉としての命の救済も、決して成り立たないのです。

「自分の好きなようにさせろ」「すべてのリスクを事前に説明されなかったから訴える」という主張が通り過ぎる社会では、医師は萎縮し、自らの首を絞めないための過度な防衛(責任転嫁)に走ります。個を守ろうとする過剰な権利主張と患者側の意識の希薄さが、皮肉にも全体を救う仕組み、すなわち貴重な医療インフラを内側から破壊していく。これこそが、今の日本が直面している構造的な危機の正体です。

4.【出口の設計】:医師の使命感の覚醒と、組織が背負うガバナンス体制

社会の基盤や法の運用を俯瞰すれば、人は本能的に「最もリスクが低く、自分を正当化できる方向」へと流れていくものです。現在の「自己決定権」の過度な強調は、医療現場に「免責の罠」という副作用をもたらしました。

「複数の選択肢を提示し、最終的にそれを選んだのは患者である」という形式さえ整えれば、医師は結果が悪かった際のリスクから逃れられます。「Aの方法も、Bの方法もありますが、決めるのはあなたです。私は責任を持ちません」という、冷淡な姿勢を生み出しかねないのです。これは専門家としての「判断の放棄」に他なりません。

一分一秒を争う極限の現場において、医師が自らの専門的な良心に基づき「何としてでも救う」「この治療がベストだ」と決断することをやめ、単なる選択肢の提示者となった時、私たちは本当の意味で命を預けられるプロを失うことになります。

私たちが今向かうべきは、個々の医師の防衛策だけに頼るのではなく、医療機関、ひいては社会全体の「構造的な防衛線」を再構築することです。しかし、その大前提として、医療の原点である「医師の倫理観や使命感を最大限に発揮すること」が何よりも重要です。医師自身もまた、目の前の命を救い出すという「自己の使命感」を今一度強く再認識し、覚醒させなければなりません。医師の気高い使命感という魂があって初めて、組織のガバナンスはその真価を発揮するのです。

医師が本来の使命感に燃えて最高のパフォーマンスを発揮できるよう、私が提言し続けている「組織的ガバナンス」は、次のような強固な盾として現場を支えます。

■ 個人の孤独な判断を組織が背負う体制 医師が使命感を持って下した決断や説明のプロセスを、医師一人の責任にするのではなく、組織(病院全体)がバックアップし、法的リスクを共有する。

■ 克明な記録による事実の固定 司法や行政に対しても、その時点での「医学的判断の妥当性」を堂々と主張できるよう、過剰なサイン集めではなく、実質的な対話の記録をインフラとして整える。

■ 社会ルールの再確立 「プロによる最善の追求は、個人のわがままを超えた公共の福祉である」という共通認識を、地域社会や行政と共に育て直す。

医師が熱い使命感を持って患者に向き合い、その孤独な決断を組織が全力で守り抜く。この美しい両輪が機能して初めて、一人の命を全力で救うことができ、それが社会全体を救う第一歩へとつながるのです。この原点回帰こそが、今の日本には必要です。

■ おわりに:信頼というインフラを取り戻すために

社会は、お互いが「その道のプロの判断を信じて託す」という、見えない信頼インフラの上に成り立っています。警察官が街の治安を守ることを信じ、医師が命を救う最善の判断をすることを信じる。

その信託を、過剰な権利意識という鋭い刃で解体しすぎれば、後に残るのは、誰も責任を取らず、誰も他人のために動かない、冷たい荒野です。医療従事者が専門家としての誇りと使命感を取り戻し、社会が「正しいプロの判断を正しく守る」ための体制を整えることは、日本の医療インフラを守るための最優先課題です。

私自身、戸畑警察署長などを歴任した刑事37年の警察官人生の中で、組織の統治(ガバナンス)や危機管理の第一線に立ち、財務省や国税庁への出向も含めて、様々な組織のリスクマネジメントや防衛線を設計してまいりました。その中で培った「構造から問題を解決する知見」と、現在の福岡市医師会安全対策サポートアドバイザーとしての経験を融合させ、他社にはない実戦的なアプローチで、現場の皆さまを支える仕組みづくり(出口の設計)に尽力しております。

個人の判断や過剰な事務作業に現場を忙殺させることなく、病院という組織全体でプロの判断を守り、スタッフが安心して天職と使命に専念できる環境を作ること。これこそが現代の医療経営における唯一の正しい道です。

組織的な対応方針の策定や、説明義務・同意書を巡る現場のガバナンス、コンプライアンスの強化にお悩みの経営者の皆様、実務担当者の皆様は、一人で抱え込まずに、いつでもお気軽に私、柴田建一までご相談ください。皆さまの確かな後ろ盾となり、共に安心の設計図を描いてまいります。

本日も最後までブログをお読みいただき、誠にありがとうございました。 今日もお疲れ様です。明日もまた、胸を張って素晴らしい仕事に向かってください。

福岡の、そして全国の医療現場の安全と発展に、心からの敬意を込めて。

【事案分析と解決の設計士:柴田 建一(シバケン)】

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