【医療安全対策】元警察署長が紐解く「危機察知力」:ペイシェント・ハラスメントから現場を守る思考の設計図

医療現場の最前線で戦う皆様へ。

患者さんの不安に寄り添い、丁寧に応対する。それは医療人として尊い「接遇」の姿です。しかし、その「誠実さ」を逆手に取った理不尽な攻撃が、今や現場の安全を根底から揺るがしています。

今回は、日本医師会が主催した「令和4年度 医療安全会議」での提言を軸に、現場を救うための新しい「思考の設計図」を提案します。

目次

医療安全神話の崩壊と、日本医師会が突きつけた課題

2022年、日本医師会が開催した医療安全会議。この会議は、全国各地で医師が射殺されるなどの痛ましい重大事件が相次ぎ、これまでの「日本の医療安全神話」が完全に崩壊したという、かつてない危機感の中で開催されました。

その会議において、医療機関が抱える現状の問題点として指摘された「4つの不足」をご存知でしょうか。

  • 危機察知力の不足
  • 組織的対応の欠如
  • 情報共有の不徹底
  • 境界線の曖昧さ

特に注目すべきは、筆頭に掲げられた「危機察知力の不足」です。

これまで医療業界は、いかに相手の怒りを収めるかという「接遇マナー」や「アンガーマネジメント」を継続して学んできました。しかし、社会全体が「患者様」という過剰な敬称を使い、患者の要求が肥大化していく状況下では、応対の技術だけではもはや現場の安全を担保できないのです。

「危機察知力」こそが、泥沼から現場を救う境界線

私がここで強く訴えたいのは、医療現場を守る生命線は「危機察知力」であるということです。危険を敏感に察知し、判断し、把握する能力。

ペイシェント・ハラスメント(患者ハラスメント)の兆候がある患者、あるいはその可能性を秘めた「言動」を、初期の段階で機敏に、かつ客観的に「危機察知」すること。これこそがすべての防衛の起点になります。

この能力が機能して初めて、明確な線引きが可能になります。 「ここまでは、しっかり寄り添う『応対・接遇』のベクトル。しかし、この言動を超えた瞬間からは『ハラスメント対策』のベクトルへ切り替える」 という、明確な境目(フェーズ)が見えてくるのです。

もし、この「危機察知力」がなかったらどうなるでしょうか。

危険な言動のサインを見落とし、超えてはならない一線を越えているにもかかわらず、現場は延々と応対・接遇を繰り返すことになります。

医療側の過剰な誠実さを吸って、ハラスメント患者はますます増長し、要求はエスカレートしていきます。その結果、職場の安全環境は加速度的に悪化していくのです。ハラスメントの嵐の中で、なおも「接遇」を強いられる現場は、まさに最悪の事態と言わざるを得ません。

👉 合わせて読みたい関連ブログ: 【医療安全の新常識】「寄り添う」が言いなりにすり替わっていないか?元警察署長が語る、0.1%の悪質クレーマーと決別し「現場の心」を守るための意識改革 (https://shibaken-poli.com/wp-admin/post.php?post=486&action=edit)

安全・安心な職場環境を守るためにも、この危機察知力は極めて重要な意味を持ちます。だからこそ、日本医師会の安全対策会議でも、現在の医療業界における最大のボトルネックとして挙げられたのです。

組織全体で「あれ?」を共有する:防衛の設計図

この危機察知力は、個人の勘や経験則に頼るものであってはなりません。組織全体で意識し、情報をリアルタイムで共有することが不可欠です。

「ここが境目だ」「ここからは組織で対応しよう」という基準を明確にし、現場の誰もが「あれ? おかしいぞ」と直感的に気づける状態(共通言語化)を作ること。これこそが、実効性のあるペイシェント・ハラスメント対策の核心です。

接遇と対策:状況に応じて自在に操る「3つのベクトル設計」

私は、これまでの応対接遇を単なる「一方通行」とは考えていません。接遇とは、事案や相手に応じて柔軟に形を変えるべきものです。事案の悪化を防ぎ、現場の安全を担保するためには、次に示す「3つのベクトル」を状況のグラデーションに応じて的確に選択・設計していく視点が不可欠です。

1. 「応対・接遇」のみのベクトル(通常の医療提供)

これが医療現場における大前提であり、日々のベースとなる対応です。一般的な患者さんに対して、医療人としての誠実さを持ってしっかり寄り添い、必要な説明やケアを行うフェーズです。この通常のベクトルが正しく機能しているからこそ、以下の「防衛」へのスムーズな移行が活きてきます。

2. 二つのベクトルの「同時進行」(いつでも切り替えられる準備)

これが最も実戦的かつ重要な技術です。例えば、相手の言動にハラスメントの兆候は見られるものの、まだ著しく職場環境を害するほどではない、という段階です。

この時、医療者は「必要な医療の説明(応対のベクトル)」を継続しながら、同時に「これ以上大きな声を出されると、私共は恐怖を感じます」といった、「外形的なハラスメントに対する警告(対策のベクトル)」をその場で発動させます。「通常の応対」を維持しつつも、いつでも次の「完全な切り替え」に移行できるよう、水面下で防衛の牙城を築いて並存させる、極めて実戦的なフェーズです。

3. ベクトルの「切り替え」(組織防衛への完全シフト)

同時進行の段階を経て、なおも相手の言動がエスカレートし、接遇の範囲内では解決できない、あるいは著しく社会通念を逸脱したと判断した瞬間に移行する最終フェーズです。これまでの「対応」を完全に打ち切り、「組織防衛(ペイシェント・ハラスメント対策)」へと、対応の軸足を一気に切り替える毅然とした判断です。

危機察知力を働かせるべき「エスカレーションの3つの典型例」

実際の現場において、どのような場面で危機察知力を働かせ、対策のベクトルや同時進行へと切り替えるべきなのか。私がこれまでに受けた相談事例の中から、ハラスメントがさらに深刻化・エスカレートする可能性を孕んだ「3つの前兆事例」を提示します。

これらは単なる確認項目ではなく、「こうした兆候を察知した瞬間に、あるいは言動が継続・悪化した段階で、即座に、あるいは段階的に組織防衛へと舵を切る」ための思考の訓練として捉えてください。

① ネット上の誹謗中傷と「処方クレーム」のリンク(悪質化への予兆)

病院の口コミサイト等に特定の個人や医院への誹謗中傷を書き込んでいる形跡があり、実際の窓口でもその内容と酷似した「薬の処方への過度なクレーム」を執拗に繰り返す患者の事例です。

この連動性を捉えた時点で、事態が深刻化するリスクを予期しなければなりません。「最高度の応対ベクトル」を走らせながらも、いつでも「切り替え」ができる準備を整え、これ以上の不当な要求やエスカレートがみられた段階で、即座にハラスメント対策のベクトルへシフトする備えが必要です。

② スマホによる「即時録音」という戦闘態勢(威圧行為へのエスカレーション)

説明や診察の場にスマホを持ち込み、こちらの許可なく、あるいは威圧的な態度で録音を始めようとする行為です。これは対等な対話ではなく、のちに攻撃材料を仕立て上げるための意思表示に他なりません。

この言動を察知した瞬間、通常の接遇のみで応じるフェーズは終了します。単独での対応を避け、複数人による対応や組織的な監視体制を敷く「同時進行」の構えをとり、言動が継続・悪化するようであれば早い段階で「対策のベクトル」へと完全に切り替えることが現場の安全を守る鍵となります。

③ 「特例」という甘い罠からの要求肥大化(ルール逸脱へのエスカレーション)

個人的な繋がりを利用してルール外の優先予約や便宜を図らせ、のちにそれが原因でトラブルになった際に「病院側のミスだ」と激しく主張する事例です。

こうした「小さな特例・見逃し」は、ハラスメント患者にとって要求をさらにエスカレートさせる格好の足がかりとなります。この兆候を察知した段階で、いつでも組織対応へ移行できる準備を進め、エスカレーションが見られた時点、あるいは継続した段階で「定めたルール以外の特例は一切認めない」という明確な境界線を毅然と引いて組織防衛へ切り替えなければ、現場の規律と安全は加速度的に崩壊します。

結びに:安全なくして、良質な医療はなし

どこまでを通常の「応対」の範囲とし、どこからを組織的な「防衛」とするか。この境界線は、決して一律に固定できるものではありません。

患者の属性やその時々の言動、すなわち現場にかかる外圧の強さによって、どこまで応対すべきかという境界線は柔軟に伸縮します。これこそが、私が提唱している「ゴムマリ理論」の本質です。

そして、相手 of の出方によって刻々と変化するこの「ゴムマリの境界線(限界点)」を現場で機敏に見極めるためのセンサーこそが、まさに「危機察知力」に他ならないのです。

私は、これまで財務省や国税庁への出向、および警察署長(元署長)としての職責を通じて、多種多様な危機管理や組織防衛の修羅場を経験してまいりました。現在はそのリアルな知見を「事案分析の設計図」に落とし込み、医療安全の現場へお伝えしています。

危機察知力を育て、研ぎ澄ますこと。それは決して患者さんを疑うことではなく、良質な医療を提供し続けるための「防衛インフラ」の整備なのです。

医療現場の安全を守るための具体的なフェーズ設計や、組織対応の仕組みづくりについて、お悩みのことがあればいつでも遠慮なくご相談ください。現場の平穏を取り戻すために、共に最適な設計図を描きましょう。

「事案分析と解決の設計士」柴田 建一(シバケン)

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