1. はじめに:三重県が踏み切った「罰則付きカスハラ条例」の衝撃
いま、全国の自治体でカスタマーハラスメント(以下、カスハラ)対策への動きが急速に具体化しています。その中でも特に注目すべきが、三重県における「罰則付き」カスハラ防止条例の制定に向けた動きです。三重県は来年(2027年)春の施行を目指して具体的な最終案を固めており、知事の禁止命令に違反した悪質な加害者に対して「50万円以下の罰金、あるいは拘留または科料」を科すという、極めて踏み込んだ内容を発表しました。
現在、日本国内でカスハラ対策条例を既に制定している、あるいは制定を公表している主な自治体には、東京都、北海道、愛知県、群馬県などがあります。しかし、これら先行自治体の条例の大部分は、カスハラ禁止の「理念」や「国・自治体・事業者の責務」を定めるに留まっており、法的な強制力やペナルティを伴う「罰則付き」の領域にまで踏み込んだものは、三重県桑名市の市長の命令に従わなかったハラスメント行為者に対するペナルティです。
私は長年、危機の現場に身を置いてきた人間として、この三重県の取り組みを非常に高く評価しています。「条例が存在する」という事実だけでも、現場の事業者や従業員にとっては計り知れない安心感をもたらします。なぜなら、現場で理不尽な要求や暴言に晒されたとき、「私たちの自治体にはこれを取り締まる、あるいは禁止する条例がある」という明確な法的・行政的な根拠を盾にできるからです。
これがあるのとないのとでは、毅然とした対応を取る際の後ろ盾の重み、そして加害者に対する説得力が全く変わってきます。相手がどれほど不当な要求を突きつけてこようとも、行政が「それは明確な違反行為である」と定義しているからこそ、企業や店舗は迷うことなく毅然と拒絶できるのです。現場の事業者の目線に立ち、実効性のある「武器」を配備しようとしている三重県の動きは、まさに現代の組織防衛における模範的な英断であると言えるでしょう。
2. 三重県を動かす「桑名市」の実例:氏名公表権という強力な後ろ盾
三重県が全国初となる「罰則付き条例」の制定にまで踏み込めたのは、決して偶然の産物ではありません。
単に形を整えるだけの安全対策では、ここまでの歴史的な変革は不可能です。背景にあるのは、地域事業者や住民が挙げた「現場を守ってくれ」という命がけの熱意。そして何より、その切実な声を正面から受け止め、「形骸化した対策は要らない。実効性をもって現場の人を絶対に守り抜く」と決断した、議会や執行部のリーダーたちの不退転の覚悟と熱意です。
現場の苦労への深い共感と、それに応えたリーダーたちの強い意志が一つになり、「これこそが質の高い介護を円滑に続ける基盤になる」という確信へと至ったからこそ、この画期的な条例は誕生しました。この熱意の連鎖の始まりである具体的な実例が、まさに三重県桑名市なのです。
桑名市では、県に先駆けて昨年(2025年)4月にカスハラ防止条例を施行しました。この条例の最大の特徴は、悪質なハラスメント行為者に対する「氏名公表権」を市に持たせている点です。単なる理念を掲げるだけでなく、著しく悪質な行為があった場合、外部の有識者等で構成される「審査委員会」の厳格な審査を経た上で、市長名で行為を止めるよう勧告・命令を出し、それに従わなければ実名を社会に公表するという極めて実効性の高い仕組みを構築しました。
正式なプロセスを踏んだ条例は、決して形骸化したルールではありません。現に桑名市では、条例施行後、実際に複数件の悪質なカスハラ行為に対し、行政から「これ以上続けるならば氏名を公表する」といった旨の具体的な警告・措置が行われています。この行政による毅然とした介入と警告の実例こそが、理不尽な要求に一人で怯えていた現場の事業者を救い、加害者に対する強力な抑止力として機能しているのです。
このように、住民や現場の意識が高く、自治体がそれに応えて具体的な防衛策を矢継ぎ早に繰り出している三重県。その地道な積み重ねがあるからこそ、今回の「県単位での罰則付き条例」という全国初の快挙へと繋がっています。
3. 元警察署長の視点:「個人の自由」に隠れた暴力を許さない
社会の安全と秩序を維持するための仕事に邁進してきた37年間の警察官人生において、私は警察署長としての組織管理や、財務省・国税庁への出向といったキャリアを通じて、法制度のあり方や社会リスクの変遷をこの目で直接見続けてきました。その現場経験から、いま強く確信していることがあります。それは、現代社会において「法律の抜け穴」や「隙間」を巧みに突き、自己の不当な欲求を満たそうとする人間が確実に増えているという現実です。
彼らはしばしば、「個人の自由」や「消費者の権利」という名目を盾にします。「客の自由だろ」「消費者には意見を言う権利がある」といった言葉の裏に、自らの傍若無人な振る舞いや、従業員に対する精神的・肉体的征服欲や自己のストレス解消をを隠蔽しているのです。これは、権利の名を借りた「暴力」に他なりません。現行の刑事罰(恐喝罪、強要罪、威力業務妨害罪など)を適用するには至らないものの、現場の人間を精神的に限界まで追い詰めるようなグレーゾーンの悪質な迷惑行為が、社会のあちこちで横行しています。
企業や事業者は、自社の従業員を守る一義的な義務を負っています。しかし、一民間企業が単独でこれらの「権利の衣をまとった暴力」に対抗するには限界があります。先述した桑名市のように、行政が公的な防波堤として機能しなければならないのです。民間任せにせず、地域全体で働く人々を守るという強いガバナンスを示す。その観点において、三重県のように罰則や公表権という「牙」を持たせた条例で事業者を守ろうとする姿勢は、危機管理の王道であり、今まさに全国の自治体に求められている姿勢だと考えます。
4. データが示す福岡の「超・カスハラ危険地帯」という現実
そして、本日は日頃お世話になっている公職で尽力していただいているみなさんに対して、現場の代表としてあえて厳しいことを言わせていただきたいと思います。翻って、我が福岡県、および福岡市の現状はどうでしょうか。桑名市のような先進的な取り組みはおろか、私の認識できている範囲では、現在のところ議会や執行部において、具体的かつ実効性のあるカスハラ条例制定に向けた気配さえ全く見られないのが実情です。
しかし、客観的なデータをつぶさに分析していくと、福岡こそが日本で最もカスハラ対策の後ろ盾を必要としている「危険地帯」であり、むしろ全国に先駆けて一番に対策条例をやるべき自治体であることが浮き彫りになります。
まず、どのような業種がカスハラ被害に遭いやすいのか、公的なデータから検証してみましょう。株式会社東京商工リサーチが2024年8月27日に発表した「企業のカスタマーハラスメントに関するアンケート調査」(有効回答5,748社)によると、直近1年間でカスハラを受けたと回答した企業は全体の19.1%、約5社に1社にのぼっています。さらに、これを「業種別」に分類したデータを見ると、被害の発生割合において突出して上位を占めているのが以下の業種です。
- 宿泊業:72.0%(被害発生率第1位)
- 飲食店:64.8%(被害発生率第2位)
このように、不特定多数の個人客と直接対面してサービスを提供する「観光業」や「飲食業」が、圧倒的な高確率でカスハラ被害に直面していることが、明確な統計データとして証明されています。
では、この被害高リスク業種が、現在の福岡市にどのような割合で存在しているのか。総務省および経済産業省が実施した最新の公的統計である「令和3年(2021年)経済センサス‐活動調査(確報)」のデータをもとに、福岡市の都市構造を客観的に評価してみます。
経済センサス調査のデータによると、福岡市内の全事業所(民営・非一次産業)のうち、実に約9割を第3次産業(商業・サービス業)が占めています。さらに細かく見ると、最大のシェアを占める「卸売業・小売業」の26.6%に続き、先ほどの東京商工リサーチの調査で最も危険とされた「宿泊業,飲食サービス業」が全体の13.0%を占めています。
この「13.0%」という数字が何を意味するのか。これを全国平均や他の大都市と比較すると、福岡市の異常な構造が見えてきます。福岡市は、全国平均と比較して「宿泊業・飲食サービス業」の集積率が極めて高く、日本の政令指定都市などの「大都市圏(21大都市圏域)」の中において、卸売・小売や飲食といった商業・サービス業の密集度がトップクラスに位置しています。さらに、福岡市は中小企業や個人事業主の比率が非常に高く、同経済センサスをベースにしたデータ分析でも、開業率が「21大都市の中で1位(唯一の7%台)」を記録するなど、新陳代謝が激しく、個人客を相手にする小規模な店舗や個人事業主が狭いエリアに驚異的な密度で集中している都市なのです。
この2つのデータを掛け合わせて考えてみてください。 「日本で最もカスハラ被害に遭いやすい業種(宿泊業:72%、飲食店:64.8%)」が、「大都市圏トップクラスの過密さで密集している都市」が、まさにこの福岡市なのです。客観的なデータを見る限り、福岡の街で働く従業員や個人事業主の方々は、全国で最もカスハラのリスクに晒されており、一刻も早い行政的な後ろ盾(条例)を求めて現場で悩み、苦しんでいる状況にあることは疑いようがありません。この過密な産業構造と現場の危機管理を真剣に考えるならば、福岡こそが全国の先頭に立って現場を守る防波堤を築くべきなのです。
5. 現場丸投げの福岡県・福岡市議会と執行部への大いなる疑問
これほどまでに危機的なデータが揃っており、現場が悲鳴を上げているにもかかわらず、福岡県や福岡市の議会、あるいは執行部(知事や市長)に条例制定の気配さえ見られないというのは、一市民として、そして危機管理の専門家として、大いなる疑問を抱かざるを得ません。
この行政の動きの鈍さを見ていると、一部の組織における危機管理の課題と重なって見える部分があります。
例えば医療現場において、多くの医療機関や病院幹部の方々は、医療安全や職場の安心安心を最優先課題として掲げ、真摯に対策を進めておられます。しかしながら、ほんのごく一部の事例として、理念の提示には熱心であるものの、実際の現場で発生するペイシェントハラスメント(患者側からの過度な要求や暴言)などの具体的なトラブル対応について、結果として組織的な防衛システムが追いつかず、現場の看護師や事務職員の個々の対応に「頼らざるを得なくなっている」ようなケースが散見されるのもまた事実です。
「現場でうまく対応してほしい」と、矢面に立つスタッフへの実質的なサポートが後回しになってしまう。今の福岡県や福岡市の議会、職権を持つ知事や市長の姿勢は、こうした一部の組織で見られる「現場への依存」の構造と、どこか重なり合って見えてしまうのです。
福岡市は近年、観光客の誘致やインバウンド(訪日外国人客)の拡大、スタートアップの支援など、目に見える華やかな「経済促進」には非常に熱心です。それ自体は素晴らしいことですし、都市の成長には不可欠でしょう。しかし、その華やかな経済活動の裏で、見えないところで理不尽な悪質クレームに頭を下げ、心を痛め、苦悩している現場の労働者がこれほど多数存在しているという事実に、もっと目を向けるべきではないでしょうか。
防犯やハラスメント対策といった安全対策の成果は、対策を講じたからといって、明日すぐに「売上が何倍になった」というような目に見える数字として現れるものではありません。むしろ、トラブルを未然に防ぐ「マイナスをゼロに抑える」地道な仕事であるため、平時にはその価値が見えにくくなる特性があります。
しかし、経営の本質、あるいは都市ガバナンスの本質はむしろ逆です。本当に「目に見える数字(経済成長や観光客数)」の持続的な伸びを求めるのであれば、その土台となる「目に見えない安心・安全(健全な労働環境、理不尽な暴力からの防衛)」を国や自治体がきちんとコントロールし、支えておくことこそが絶対条件なのです。
ベースに「安心」があるからこそ、従業員は最高のパフォーマンスでサービスを提供でき、結果として顧客満足度が上がり、経済が継続的に伸びていく。これは、大半の優良な病院経営において「職員の職場環境が守られてこそ、質の高い医療安全が達成され、結果として地域に愛される病院経営が継続する」というロジックと完全に一致します。土台の安定を後回しにしたまま、上に建つ城の見栄えだけを良くしようとしても、いずれ現場の負担が限界に達してしまいます。福岡のリーダーたちは、この経営の本質を今すぐ直視すべきです。
👉関連ブログはこちら 現場を救うのは「条文」か、それとも「覚悟」か?https://shibaken-poli.com/2026/04/27/%e3%82%ab%e3%82%b9%e3%83%8f%e3%83%a9%e3%81%ae%e6%94%b9%e6%ad%a3%e6%b3%95%e3%81%82%e3%81%be%e3%82%8a%e5%91%a8%e7%9f%a5%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%be%e3%81%9b%e3%82%93-%e7%8f%be%e5%a0%b4%e3%82%92/
6. むすび:現場から声を上げ、真の安全安心な福岡へ
行政や議会がその重い腰を上げないのであれば、私たちはただ待っているわけにはいきません。これからの時代は、苦悩している現場の事業者、そしてそこで働く一人ひとりが声を掛け合い、ボトムアップで「真の安心・安全とは何か」を社会に問いかけていくことが極めて重要になります。三重県桑名市のように現場がまず行動を起こし、声を上げることでしか、お役所や議会の厚い壁を動かすことはできません。
私自身、これまでの37年間にわたる警察官としての歩み、元警察署長としての実務や、財務省・国税庁への出向といった様々な経験を通じて、「人と組織の安全をいかに守るか」というテーマに現場ファーストで真摯に向き合ってきました。現在は、その知見を少しでも社会に還元できるよう、安全対策のアドバイスや危機管理のサポート、あるいは未来を担う人材の育成に携わっています。
理不尽なトラブルから現場を孤立させず、安心して働ける環境を整えるお手伝いをすることは、私にとって非常にやりがいのある大切な役割だと感じています。もし、企業や医療機関、あるいは店舗の経営において、悪質なクレームやカスタマーハラスメント、ガバナンス体制への不安などでお悩みでしたら、どうぞ一人で抱え込まずに、私までお気軽にお声がけください。現場の皆様の痛みに寄り添いながら、実効性のある具体的な解決策を共に考えてまいります。
ハラスメントに屈しない、働く人が真に誇りを持てる安全安心な福岡の未来を、現場の皆様と一緒に創り上げていきたいと願っています。
【危機管理・カスハラ対策に関するご相談は】 お困りの際は、柴田建一(シバケン)までお気軽にご相談ください。現場に寄り添った最適なソリューションをご提案いたします。
👉 公的エビデンス:厚生労働省の公式指針はこちら 組織として講ずべきハラスメント対策の公的な基準については、厚生労働省発出の以下の指針をご確認ください。 【厚生労働省】労働施策総合推進法に基づく「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」 (https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf)
