【医療危機管理】「プロとしての知識」が刃に変わる時――同業者によるペイシェントハラスメントの悲劇と、医療界全体で紡ぐべき真の信頼】

目次

■ はじめに:医療・介護の現場を揺るがす「内なる嵐」

日夜、命の最前線や地域医療の現場で汗を流されている医療・介護従事者の皆さまに、心からの敬意を表します。

皆さまは「ペイシェントハラスメント(以下、ペイハラ)」という言葉を聞いて、どのような人物を思い浮かべるでしょうか。「理不尽に大声を出す高齢者」「執拗にクレームを繰り返すクレーマー」といった、いわゆる一般の患者さんやそのご家族の姿を想像される方が多いかもしれません。

しかし、私がこれまでに組織統治(ガバナンス)や危機管理の現場で数多くの相談を受けてきた中で、非常に胸を痛め、かつ深く考えさせられる「一つの厳然たる事実」があります。それは、ペイシェントハラスメントの行為者が、他院に勤務する現役の看護師、放射線技師、理学療法士、あるいは介護職といった「同業者(医療・介護従事者)」であるケースが少なからず散見されるという事実です。

件数として爆発的に多いわけではありません。しかし、時折ポツリポツリと、しかし確実に、深刻な相談として私の元に持ち込まれます。

なぜ、病の苦しみや現場の過酷さを誰よりも知っているはずの専門職が、同じ医療業界の仲間に対して牙をむいてしまうのか。今回は、この「同業者によるペイシェントハラスメント」という悲しい構造の背景にある心理を読み解き、法的な視点も交えながら、医療界全体が今どのような意識を持つべきなのか、皆さまと一緒に考えていきたいと思います。

■ 1. 同業者による不当要求のリアル:それは「正義の仮面」をかぶってやってくる

私が実際に受けてきた相談事例を分析すると、同業者によるペイシェントハラスメントには、一般の患者さんによる感情的な爆発とは明らかに異なる「特異なパターン」が存在します。 彼ら、彼女らは、感情に任せて怒鳴り散らすようなことはあまりしません。むしろ、極めて冷静に、内部事情を知る者として「理論整然とした体裁」を整えて不当な要求を突きつけてきます。

◆ 身分は明かさない――しかし滲み出る「専門知識と経験」の圧力

よくある誤解として、「私は医療従事者ですが」と自ら身分を明かしてマウントを取ってくるケースを想像しがちですが、実はそのような事例は多くありません。行為者の心の中には「同じ業界の人間なのに、このような要求をするのは申し訳ない、後ろめたい」というブレーキが少なからず働いているからです。

そのため、彼らは自らの所属や職種を隠し、あくまで「一人の一般患者」「一人の家族」として現れます。 しかし、いざ対応が始まると、その要求内容や指摘の仕方に、隠しきれないプロとしての「高い専門知識」や「現場経験」が色濃く滲み出るのです。

  • 「今の状態であれば、この検査や処置を優先するのが一般的なエビデンスではないですか」
  • 「このバイタルサインの変動に対して、なぜそのアプローチを選んだのか根拠を説明してください」
  • 「この対応手順は、一般的なリスクマネジメントの観点から逸脱しているように見えます」

このように、自分の身分は伏せたまま、知識と経験に基づいたハイレベルな論理を組み立て、あたかもその医療機関を評価・監査する「指導者」のような立ち位置から、現場のスタッフに無言の圧力をかけていくのです。

◆ 平然たる言動の背景にある「教育・研修の欠如」という推認

ここで私たちが直視しなければならないのは、彼らがこうした不当な要求や執拗な追及を、悪びれる様子もなく「平然と行っている」という点です。 自らの行為がペイシェントハラスメントに該当する、あるいは同じ仲間を精神的に追い詰めているという意識が、彼らには到底あるとは思えません。

この平然とした態度から強く推認されるのは、「彼らが所属する医療機関において、ペイシェントハラスメントに関する適切な教育や指導、スタッフ向けの研修が全く行われていない、あるいは形骸化している」という厳しい現実です。 「自分が外でプロの知識を武器に他院を責め立てることが、重大なペイシェントハラスメントである」という基本認識すら組織で共有されていないからこそ、一歩外に出たときに「無自覚な加害者」として平気で牙をむいてしまうのです。

◆ 現場を最も追い詰める「正論」の罠と、裁量権の迷い

さらに巧妙なのは、現場のスタッフが反論しにくい、あるいは答えに窮するような専門性や組織の弱点を的確に突いてくる点です。

「この対応はインシデントに該当するのではないか」「管理責任者の見解を今すぐ書面で出しなさい」といった、現場が萎縮せざるを得ない言葉選びを熟知しています。

ここで現場が最も深く傷つき、対応に苦慮するのは、相手の言うことが「教科書的には決して間違っていない“正論”である場合が多い」という点にあります。 医療や介護の現場における治療方針やケアの選択には、目の前の患者さんの個別性や、その病院が持つ限られたリソースを踏まえた「非常に大きな裁量や専門的判断」が委ねられています。エビデンスが一つであっても、現場の状況に応じたアプローチの方法は一つとは限りません。

しかし、同業者から知識に基づいた「正論の刃」を突きつけられた若い看護師やスタッフは、 「相手の言うことは正論だ。これを受け入れなければいけないのだろうか」 「自分のやり方を押し通していいのか、自分が間違っているのではないか」 という強い迷いと葛藤に囚われてしまいます。この、現場のプロとしての責任感や良心に付け込み、臨床における正当な『裁量権』を麻痺させてしまう点に、同業者によるペイシェントハラスメントの持つ、非常に根深い恐ろしさがあるのです。

■ 2. なぜ彼らは牙をむくのか:悲しき「連鎖」とマウントの心理

では、なぜ同じ業界で苦労を分かち合っているはずの仲間に対して、このような仕打ちができるのでしょうか。その背景を深く掘り下げていくと、医療・介護業界が抱える構造的なストレスと、人間の心理的な「防衛機制」が見えてきます。

◆ 「自分がされてきたこと」の裏返しという悲劇

私がこうした事例を精査する中で強く感じるのは、不当な要求を行う彼ら自身もまた、日頃の自院の業務において、上司や医師、あるいは他の患者さんから「理不尽に言われたり、されてきたりした経験」を抱えているのではないか、ということです。

医療現場は常に緊張感に満ちており、時には強い言葉が行き交うこともあります。また、過酷な労働環境の中で、自分のプライドや存在意義が傷つけられる瞬間もあるでしょう。 そうして自らの職場で蓄積された「言えない不満」「答えに窮した悔しさ」「抑圧された感情」が、一歩外に出て「自分が患者という守られた立場」になった瞬間に、他院のスタッフに向けて決壊してしまうのです。

◆ 「知識によるマウント」がもたらす歪んだ自己肯定

自分が日頃苦労して身につけた専門知識を、他院のスタッフの非なることを指摘するために使う。これは、裏を返せば「自分の有能さを認めさせたい」「普段の現場では得られない主導権を握りたい」という、歪んだマウントの心理に他なりません。

しかし、これは本当に悲しい現状です。本来、患者さんを救い、社会を支えるための尊い「専門知識」が、同じ志を持つ仲間を傷つけ、疲弊させるための「武器(刃)」として使われているのですから。

■ 3. 業界全体の信頼崩壊という目に見えないリスク

この問題を「一部の困った同業者が起こした個別事例」として片付けてはなりません。同業者によるペイシェントハラスメントがまかり通る環境は、医療業界全体、ひいては社会全体に対して非常に深刻な悪影響を及ぼします。

◆ 社会的信頼感の低下(マクロな視点から)

もし、専門的な知識を使って他院を指図すれば要求が通る、あるいは「お前の接遇はなっていない」と指導者気取りで振る舞うことが許される業界であるならば、それを見ている一般の患者さんやご家族はどう思うでしょうか。

「あのような強い態度を取ってもいいんだ」「医療従事者がああやっているのだから、自分たちも無理な要求を突きつけていいはずだ」という誤ったシグナルを社会に発信することになります。

結果として、「医療業界は、声を荒らげたり理屈をこねたりすれば、要求が通る業界なのだ」という認識が広まり、業界全体の社会的信頼感は著しく低下してしまうでしょう。医療への信頼が崩れれば、最終的に不利益を被るのは、適切な医療を受けられなくなる患者さん自身です。

■ 4. 法的枠組みから見る「ペイシェントハラスメント対策」の現在地

ここで、視点を少し法律や制度の側に移してみましょう。近年のハラスメント対策の強化に伴い、私たちの意識もアップデートが求められています。

◆ 労働政策総合推進法の義務化と「他社への配慮」

「労働政策総合推進法(いわゆるパワハラ防止法)」の改正やそれに伴う指針、また昨今のペイシェントハラスメントに対する国や自治体の動きの中で、非常に重要な視点が盛り込まれています。

それは、自社の従業員をペイハラから守るための体制整備を義務付けると同時に、「自社の職員に対しても、他社(他事業者・医療機関)に対してペイシェントハラスメントを行わないよう、指導や意識啓発を行わなければならない」という趣旨の規定が組み込まれている点です。

これはまさに、今回の「お互いがお互いを傷つけ合わない」というテーマに直結する法律の立て付けです。組織は、自社の職員が被害者になるのを防ぐだけでなく、一歩外に出た時に「加害者」にならないよう教育する責任がある、と国が明確に示しているのです。

◆ 現実的な法律適用の「壁」と超えるべき課題

しかし、この法律の建前と医療現場の現実との間には、まだ大きなギャップ(壁)が存在します。

通常のBtoB(企業間取引)や、明確な契約関係・取引関係がある事業者同士であれば、「貴社の社員から当社の社員がペイシェントハラスメントを受けました。御社の指導義務に照らして対応をお願いします」と、組織間で正式に協力を要請することが比較的スムーズです。

一方で、医療機関の場合はどうでしょうか。ペイシェントハラスメントを行っている本人は、先述の通り身分を隠し、あくまで「一人の一般患者(またはその家族)」として来院しています。被害を受けている病院と、加害者が所属する病院との間に、直接の取引関係や契約関係はありません。

そのため、被害病院側が「ペイハラをしているあの患者は、どうやら〇〇病院の看護師らしいから、〇〇病院に連絡して協力要請(指導)をしてもらおう」と考えたとしても、個人情報の取り扱いやプライバシー、さらには明確な法的手続きの動線がないため、直接的な連携や協力要請を行うことは現実的に決して簡単ではないのが実情です。ただし、改正労働瀬佐久総合推進法や厚生労働省発出の指針にも他の事業者からカスタマーハラスメント対策への協力依頼があった場合は誠実に対応することとあり、これを活用すればペイハラ対策の幅が広がることとなり、行為者の属する事業所との連携を何らかの形で模索することができる余地があります。詳細は、これからの法解釈やより具体的な運用指針を待って、具体的対応要領を検討したいと私自身も考えているところです。

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■ 5. 悲しき行為を止めるために:今、医療界全体で向くべき「同じ方向」

法律の直接適用が難しいからといって、私たちが諦めていい理由にはなりません。むしろ、こうした法律が作られた背景には、まさに「同じ業界内や仲間内での理不尽なペイシェントハラスメント」をも想定し、それを抑止したいという社会の強い願いが込められていると解釈すべきです。

現実から目を背けず、この悲しい行為を根絶するために、私たちはどのような一歩を踏み出すべきでしょうか。答えは、「個々の病院の枠を超え、業界全体で同じ意識のベクトル(方向)を向くこと」にあります。

◆ 1. 「院内全員で同じ方向を向く」体制の構築と、裁量の保護

まずは各医療機関の内部において、ペイハラに対して「組織全体で毅然と対応する」という共通認識(ガバナンス)を強固にすることです。

現場のスタッフ個人に対応を丸投げせず、管理職、そして経営陣が一体となり、「現場の専門的判断と裁量は、組織が全力で保護する。不当な要求には、相手がどのような属性であり、どれほど『正論に見える知識』を並べ立てようとも、組織として一線を引く」という毅然とした姿勢をマニュアルと行動で示さなければなりません。

◆ 2. 「自院の足元を固める」教育の徹底――これこそが真のペイハラ対策

何より重要なのは、他院の非を鳴らす前に、まず自分たちの足元、すなわち「自院の組織体制」をしっかりと固めることです。

私たちの組織は、はたして自院のスタッフを守るための対策だけでなく、彼らが一歩外に出て「患者」や「家族」という立場になったときに、プロフェッショナルとして他院へどう振る舞うべきかという指導まで行き届いているでしょうか。日頃、自院で受けている理不尽なペイハラの苦しみを、決して他の医療機関に対して与えてはならないという意識を、朝礼や定期的な内部研修を通じて徹底的に高めていくこと。これこそが、いま最も求められている地道かつ本質的な活動です。

それぞれの医療機関がまず自院の職員教育を徹底し、内側のガバナンスを強固にすること。この一歩を踏み出すことこそが、医療界全体へのペイシェントハラスメント対策の周知徹底につながり、ひいては業界内におけるハラスメントを根絶する唯一の確実な動線となるのです。

◆ まだまだ浸透していない現実、だからこその危機管理

しかし、現在の医療・介護界を見渡すと、残念ながらこの「一歩外に出たときの加害者化を防ぐ教育」はまだまだ浸透していない、というのが私の危機管理アドバイザーとしての率直な実感です。自院の被害対策には目が向いても、「自院のスタッフが他院で平然とプロの知識を刃にしてペイシェントハラスメントを働いているかもしれない」というリスクにまでガバナンスが及んでいる組織はごくわずかです。

だからこそ、今、意識の転換が必要です。「他院への敬意と裁量の尊重」という意識が業界全体のスタンダードになれば、知識は仲間を傷つける刃ではなく、医療現場を円滑に回すための「潤滑油」へと変わるはずです。 この変革(意識の浸透)を地域から、医療業界全体へと広げていくことこそが、今最も求められている組織デザインであると確信しています。

■ 結びに:真の医療安全と組織防衛のために

医療・介護の現場が、関わるすべての人にとって安心安全な場所であるためには、外からの理不尽を防ぐ盾だけでなく、内なるプライドを正しくコントロールする律動(ガバナンス)が必要です。同じ志を持つ仲間同士が、互いの専門性を尊重し合い、社会からの信頼をより強固なものにしていく未来を、私は切に願っています。

私は過去、警察署長としての危機管理の最前線や、財務省・国税庁への出向といった異なる組織での統治・コンプライアンス業務を経験してまいりました。現在はその経験を活かし、福岡を中心に医療機関の皆さまの安全対策や組織防衛、危機管理体制の構築をサポートするアドバイザー、また看護専門学校での講師として、次世代の育成にも携わらせていただいております。さまざまな組織の「内と外」を見てきたからこそ、現場のご苦労に寄り添った、実効性のある解決策を共に導き出せると考えております。

組織の防衛、ペイシェントハラスメント対応のマニュアル策定、あるいは相手の「専門知識を交えた正論」に現場が迷わないためのスタッフ向け研修など、どのような小さなお悩みでも構いません。 相談はいつでもお気軽にお寄せください。皆さまの現場が、誇りと安心に満ちた場所であり続けるよう、全力で並走させていただきます。

👉 公的エビデンス:厚生労働省の公式指針はこちら 組織として講ずべきハラスメント対策の公的な基準については、厚生労働省発出の以下の指針をご確認ください。 【厚生労働省】労働施策総合推進法に基づく「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」 (https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf

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