【改正労働施策総合推進法】2026年2月告示・厚労省カスハラ指針の解説と分析(第1回):医療機関における「ペイハラ対策」5つの措置義務と実務上の留意点

目次

はじめに:改正労働施策総合推進法に基づく「新指針」の位置づけと連載の趣旨

2026年(令和8年)2月10日、厚生労働省は改正労働施策総合推進法に基づき、「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して、雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(👉厚労省の指針全文はこちらhttps://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf)を正式に告示しました。いわゆる「カスタマーハラスメント(カスハラ)対策指針」(以下、単に「指針」と言う)です。

この指針は、今後の改正労働施策総合推進法における行政的な運用の基準となり、将来的に現場でトラブルが発生し、紛争や裁判などの司法処理に発展した際にも、判断の拠り所として引用される場合がある重要な位置づけの文書です。医療業界においては、これが「ペイシェントハラスメント(ペイハラ)」対策として、病院やクリニックの経営者・管理職にとって体制整備の基礎となる「具体的措置の義務化」の基準を意味します。

ここで重要となるのは、表面的な記載をなぞることではありません。「厚生労働省がどのような意図を持ってこの指針を創設し、どのような方向性へ導こうとしているのか、そしてその趣旨を踏まえて医療現場の実務へどう展開し、日々の研修や講話、組織づくりにどう反映させていくか」という深い解釈と分析にあります。これからの医療ガバナンスにおける確固たる「ベース(基盤)」となる指針だからこそ、その実務的な視点からの正確な検証が必要です。

本コラムでは、何回かに分けてこの指針の深層を多角的に読み解いていきます。第1回目となる今回は、最も核心となる「第4:事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関し、雇用管理上講ずべき措置の内容((1)〜(5))」にスポットを当て、医療現場における具体的な落とし込み方と、実務上の注意事項について詳しく解説します。

(1) 組織を守る「盾」の構築:方針の明確化と周知・啓発

指針の第1ステップは、事業主が「職員を守る」という姿勢を明確にし、それを組織全体、さらには外部へ周知することです。これらは形式的な宣言にとどめず、明確な制度(仕組み)として落とし込む必要があります。

具体的な仕組み:防止規定の策定と明文化

まずは、医療機関ごとに「〇〇クリニック(病院)ペイシェントハラスメント防止規定」を新規に策定します。「何がペイハラにあたるか」の基準や、禁止方針をこの中で厳格に定めます。さらに、これらを就業規則の服務規律へしっかりと入れ込むことで、労務管理上の明確な法的根拠を持たせます。

社内外への「生きた周知」の方法

策定した方針や規則、病院が取り得る毅然とした措置については、あらゆる媒体を通じて社内外に発信し、周知徹底を図ります。

  • 外部(患者)への周知: 病院のホームページへの掲載や、受付・待合室への掲示板の設置。さらに、患者に対する啓発と注意を促す「院内啓発ポスター」を掲示します。
  • 内部(職員)への周知: 学会や部内報、朝礼、定期研修を通じて、「病院は職員を守るためにここまでの体制を整えている」という事実を周知し、組織全体の安心感を高めます。

(2) 組織で動く「動線」の設計:相談・対応体制の整備

第2のステップは、職員がペイハラに直面した際、一人で抱え込ませないための「報告・連絡体制」の構築です。

担当者の決定と報告ルートの確立

ここでは、相談窓口の担当者を明確にし、情報が速やかにトップ(経営陣)や危機管理担当部署に集まる仕組み(ルート)を作ることが中心となります。医療現場では、看護師や受付が患者から理不尽な暴言を受けても、「自分の接遇が悪かったのではないか」と内省し、報告を躊躇するケースが後を絶ちません。だからこそ、心理的ハードルの低い相談体制が必要です。

重複する措置から見える「本質」

この指針を読み進めると、指針4(1)の「方針」と指針4(2)の「体制」で、似たような記述が重複していることに気づきます。これは行政文書特有の冗長性とも言えますが、裏を返せば、「方針を決めることと、それを実行する体制を作ることは、表裏一体である」という厚労省の強いメッセージでもあります。

(3) 事後の迅速かつ適切な対応に関する実務分析

深刻なペイハラが発生した際の「事後対応」を定めた指針4(3)には、実務上の重要論点と、医療機関が徹底すべき本質が含まれています。

① 現場で迷わせない「対応マニュアルの作成」

実際にペイハラが起きた際、現場がパニックにならず、組織として即座に動くためには「具体的な対応マニュアルの作成」が必須です。「暴言が始まったら別の職員と交代する」「合図やアイコンタクトにより複数対応を行う」「ここまでの言動に至ったら上司へ即座に報告する」といった実務的なステップを細かく定め、現場に落とし込んでおくことが、職員を守るための防衛策となります。

② 第三者機関(労働局・ADR)の性質と、司法手続きを見据えた事前準備の重要性

指針の中には、患者との事実関係の確認が困難な場合や相手方が調査に協力しない場合など、当事者間での解決が難しいケースにおいて、自治体(労働局の紛静調整委員会)への調停申請や、弁護士会などが運営する「ADR(裁判外紛争解決手続)」といった第三者機関の活用を促す規定があります。

しかし、これらの第三者機関はあらかじめ解決に向けた話し合いの席に着くことを前提としており、強制力に欠ける面があります。実務のスピード感や事案の迅速な事実把握という観点から見れば、どうしても対応が「後手後手(ゴテゴテ)」に回りやすく、解決の実効性という意味では一歩も二歩も後退してしまう懸念があります。

したがって、こうした第三者機関の調停に過度な期待を寄せて委ねてしまうのではなく、事実対立が深刻な場合こそ、「最終的な紛争処理・司法処理(裁判や仮処分など)としての手続きを見通した上で、速やかに弁護士と連携し、司法手続きへ移行するための証拠保全や準備を主導的に進めること」が、事業主の第一次的かつ全面的な責任として極めて重要になります。

③ 「ゴムマリ理論」の具現化:やるべき業務改善の徹底

指針4(3)の重要な記述として、ハラスメントの原因や背景の分析、そして「顧客(患者)等とのコミュニケーション不足などの改善を図るなどの再発防止措置」が挙げられています。その中には、「接客(診療・受付等)における慣行の見直しなどの職場環境の改善」も含まれています。

これは、私がかねてより提唱している「ゴムマリ理論(やるべきことの対応をしっかりする)」そのものです。職員が患者から理不尽な攻撃(ハラスメント)を受けないためには、まず医療機関側が「突っ込まれる隙」を無くさなければなりません。

  • 患者とのコミュニケーション不足はないか?
  • 今できる対応はこれでいいか?
  • 説明が不十分で、患者に誤解や不安を与えていないか?
  • 昔からの「医療業界の悪しき慣行」によって、手続きが不透明で分かりづらくなっていないか?

これらを見直し、医療機関側が「やるべき適切な対応・接遇」を徹底して「やるべきことをとやっておく」こと。これがゴムマリの弾力のように、理不尽な圧力を跳ね返す最強のハラスメント対策になります。厚労省が再発防止において環境改善に触れているのは、まさにこの「やるべきことの徹底」を促す意図があると考えられます。

④ 「他事業主への協力依頼」が孕む法的リスクと「プライバシーポリシー」の整備

もう一つ、この指針4(3)において実務上の注意をはらうべきなのは、「必要に応じて、他の事業主に再発防止に向けた措置への協力を求めることも含まれる」という一文です。つまり、ハラスメント行為者(患者)がどこかの企業の社員であると判明した場合、その所属企業に対して協力を求めることができる、という点です。これは使いようによっては有効な対策になります。

しかし、ここには大きな法的リスク(指揮監督管理権の限界)と、個人情報保護法上の課題もはらんでいます。もし、その社員のハラスメント行為が、会社の業務中ではなく、完全な「プライベート(私的)」な時間・文脈での行為であった場合、所属企業には原則としてその社員に対する指揮監督権や管理権は及びません。

さらに重大な盲点として、どの組織であっても「ハラスメント行為者の情報」は厳格な個人情報に該当するという点です。これを病院側が相手の属する事業体に提供(第三者提供)する際、法的な根拠がなければ、逆に病院側が個人情報保護法違反で訴えられるリスクをはらんでいます。

この「他事業者への協力依頼」を実際に活用できるものにするためには、病院側があらかじめ先手を打っておく必要があります。具体的には、病院の「プライバシーポリシー(個人情報の利用目的)」の中に、「院内の安全・安心対策や、ハラスメント抑止のための協力依頼を目的とした、該当事業者への第三者提供を行うことがある」という旨を明確に記載しておくべきです。こうした規程を事前に整備しておくことこそ、実務において注意をはらうべきポイントであり、比較衡量の上で「協力依頼」を可能にするための重要な法的手続きとなります。

(4) 実効性の担保措置と警察通報に関する考察

指針4(4)は、対策の実効性を確保するための具体的な対応行為についてですが、ここには実務上の注意すべき書き方が見られます。

民事執行法の「仮処分」という選択肢

今回の指針では、悪質な患者に対して「民事執行法の仮処分命令(面会強請禁止の仮処分など)」を申し立てることが、事業主の対応選択肢(措置義務の一環)として明記されました。これは経営者にとって、悪質なクレーマー患者を法的に排除するための積極的な選択肢として活用できる内容です。つまり、カスハラ対策には、法的措置も念頭において下さいということです。

「警察通報」の記述における実務上の留意点

一方、慎重に読み解くべきなのは、指針の中に「暴行、傷害、脅迫など、犯罪に該当しうる言動については警察に通報する」と書かれている点です。一見、当然のことを書いているように見えますが、ここには「それ以外の軽微な犯罪については通報を躊躇してしまいかねない」という、現場における解釈の罠が潜んでいます。

現実のペイハラ現場で最も頻発するのは、暴行や脅迫に至らないまでも、診察室に居座って業務を止める「不退去」や、大声を出して他の患者に迷惑をかける「業務妨害」です。さらに言えば、刑法上の業務妨害罪(威力・偽計)に該当するほどの重大な結果や手段に至らない、「軽微な業務妨害」であっても、それは立派な『軽犯罪法(1条31号:他人の業務に対する悪戯等による妨害)』違反という犯罪です。

今回の指針が、軽犯罪法レベルの業務妨害について明記していない点は、現場での積極的な警察通報を躊躇させる原因になりかねません。現場で真に職員を守るためには、この指針の文字面にとどまらず、客観的な証拠(録音・録画)を確実に残した上で、軽犯罪法違反も含めて適切に警察へ通報・相談する強い姿勢こそが必要です。

(5) 対策を形骸化させないための留意事項:プライバシー保護と不利益取扱いの禁止

最後に、これら指針4(1)から(4)の措置を進める上で、事業主が絶対に遵守しなければならない「留意事項」が定められています。これが実質的な指針4(5)の項目となります。

① 相談者のプライバシー保護と「ゴムマリ理論」の拡大

指針では、相談者や事実確認に協力した職員のプライバシー保護を厳格に求めています。そして特筆すべきは、このプライバシーの範囲に「性的指向」や「ジェンダーアイデンティティ(性自認)」といった、極めてデリケートな個人情報が含まれている点です。

ハラスメント問題が起きた際、厚労省としては「問題をそこから別の方向へ波及・拡大させてはならない」という強いスタンスを示しています。医療現場においては、患者側の問題だけでなく、職員側、あるいは患者側に対する「あらゆる差別(性的指向、ジェンダー、外国人差別など)を排除した、完璧な接遇・マナー」が求められます。これら差別や偏見を排したフェアイズムの徹底、および前述した「個人情報保護法に基づくプライバシーポリシーの適切な改定と運用」こそ、まさに「ゴムマリ理論の、こちら側がやるべき対応」にはプライバシーや差別などに関する配意すべき留意点なのです。

② 相談者に対する「不利益処遇の禁止」

ハラスメント対策が進まない最大の原因は、職員が「相談したら自分が不利になるのではないか」と恐れることにあります。そのため、就業規則や「ペイシェントハラスメント防止規定」の中に、「ハラスメントの相談をしたこと、および事実関係の証明に協力したことを理由として、解雇、配置転換、減給その他一切の不利益な取扱いをしてはならない」と厳格に規定(禁止)します。このルールが徹底されて初めて、実効性のあるハラスメント対策が機能し始めます。

👉 2026年10月の法律施行が間近に迫る中、クリニックなどの現場からは今も数多くの切実なご相談をいただきます。しかし残念ながら、法改正の事実や具体的な指針がまだまだ現場に周知されておらず、対策が「後手後手」になっているケースが散見されます。現場を本当に救うために何が必要なのか、こちらのブログで私の熱い想いを語っています。ぜひ合わせてご覧ください。 『【カスハラ法改正】あまり周知してません — 現場を救うのは「条文」か、それとも「覚悟」か?』 URL:https://shibaken-poli.com/2026/04/27/%e3%82%ab%e3%82%b9%e3%83%8f%e3%83%a9%e3%81%ae%e6%94%b9%e6%ad%a3%e6%b3%95%e3%81%82%e3%81%be%e3%82%8a%e5%91%a8%e7%9f%a5%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%be%e3%81%9b%e3%82%93-%e7%8f%be%e5%a0%b4%e3%82%92/

結論:運用の成否を決めるのは、経営者の「確たる意志と決意」

ここまで、2026年2月10日告示の厚労省指針に基づく「具体的な仕組み(規定、就業規則、マニュアル、ポスターなど)」について解説してきました。しかし、最後に最も強調しなければならないのは「運用の本質」です。

どれほど立派な基本方針を確立し、緻密なマニュアルを作り、美しいポスターを掲示したとしても、実際の現場で事件が起きた際、上層部が日和って「今回は患者様の言う通りにして穏便に済ませよう」と職員に我慢を強いるようでは、すべての仕組みは一瞬で形骸化します。

この対策が本当に現場の安全・安心につながり、将来の紛争時にも機能する盾となるかどうかは、ひとえに「理不尽なハラスメントからは、何があっても絶対に職員を守り抜く」という、事業主(経営者)の確たる意志と決意にかかっています。形だけの規程は、トラブルの現場においては無力だからです。

差別や偏見のない誠実な医療接遇を追求する「ゴムマリ理論」を大前提としつつ、悪質なハラスメントに対しては司法手続きや外部連携をも見据えて毅然と立ち向かう姿勢を崩さないこと。トップの固い決意に裏打ちされた「生きた運用」があって初めて、医療機関は真に守られ、新時代において「職員を守り、患者に選ばれる安全な病院」を築くことができます。

今回は第1回目として、指針が求める基本的な措置義務とその実務上の課題を整理しました。次回以降も、この「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して、雇用管理上講ずべき措置等についての指針」をさらに深く読み解き、このベースからどのような具体的防衛策を展開すべきかを提示していきます。

私自身、かつて警察署長として現場での事件・トラブル解決の指揮を執り、財務省や国税庁への出向を通じて組織のガバナンス設計に携わってきた背景を持っております。

そして現在は、福岡市医師会の安全対策支援アドバイザーとして、医療現場におけるリアルなハラスメント相談への対応や、組織防衛のための研修・講話の実践を重ねております。その実務経験から見ても、この新しい指針という「ベース」をいかに医療現場の「確たる運用」へと昇華させるかが、組織防衛の決定的な分かれ道になると確信しております。

形だけの対策を脱し、実効性のある強固な体制構築やマニュアル・ガバナンスの設計について確認したいことや、日々の運用の進め方でお気づきの点がございましたら、どうぞお気軽に柴田建一までお声がけください。現場の確かな安心を、共に丁寧につくり上げていきましょう。

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