【危機管理】「クレームは宝の山」という綺麗事が現場を破壊する:『クレーム』と『ハラスメント』を一元管理する医療ガバナンスの新常識

医療機関の経営層や安全管理・接遇担当の皆様から、「クレームとハラスメントの違いは何か?」という本質的な問いを非常に多くいただきます。世に溢れる研修資料や有識者の解説では、今なお「クレームは組織改善につながる宝の山」「ハラスメントは職場環境を害する毒」といった二重基準(ダブルスタンダード)で分類され、指導されているケースが大多数を占めます。しかし、現場の最前線で起きている事象をこの二つの基準で最初から仕分けようとすること自体が、実は大きな弊害を生み出していることに気づかなければなりません。

そもそも「クレーマー」という言葉が日本社会に定着し、一般化したのは2000年代初頭のことです。その決定的なきっかけとなったのが、1999年に発生し、2000年代にかけて社会問題化した「東芝クレーマー事件」でした。

【参考・出所】

  • 日付:1999年(平成11年)〜2000年(平成12年)頃
  • タイトル名:東芝の顧客対応を巡る internet 告発事件(通称:東芝クレーマー事件)
  • 引用・概要:購入したビデオデッキの不具合を巡る東芝側の威圧的な顧客対応の音声が、顧客側のウェブサイト上に公開され、当時の電子掲示板などを通じて瞬く間に拡散。企業の危機管理や顧客対応(CS)のあり方に甚大な影響を与え、社会全体に「悪質な苦情申し立て者=クレーマー」という概念と、それに対する組織的な防衛策の必要性が広がる契機となった。

実は、私は当時この事案の関係者が福岡にいたことから、実務としてこの事案の相談対応に直接携わっていました。そのため、当時の緊迫した状況や、その後の企業体・事業体における顧客対応部門(カスタマーサポートやCS推進部など)の急増といった潮流を、誰よりも肌で強く感じてきた一人です。

当時の企業や社会が掲げたスローガンは、「クレームは宝の山であり、業務改善や新商品開発のチャンスである」というものでした。確かにそれには一理あります。しかし、私はこの耳障りの良い言葉の上面を見るたびに、胸を締め付けられるような強い危機感を抱いていました。私はあえて言いたい、「これのどこがチャンスなんですか」「ハラスメントそのものですよ」と

「これでは、現場の安全安心が完全に置き去りにされている。綺麗事を並べ立てて、そしたら現場はどうなるのか。現場には一体何の利益があるのか。現場の安全は誰が守ってくれるのか」

利益や改善という恩恵は企業(組織)が享受し、理不尽な対応に伴う凄まじい精神的リスクや過剰な忍耐はすべて最前線の現場が背負う――。この長年蓄積された構造的な歪み、現場の悲痛な叫びがようやく社会を動かし、近年のカスタマーハラスメント(カスハラ)対策への法改正や、厚生労働省による指針発出へと集約されたのです。今、私は一つの大きな感慨を持ってこの時代の流れを見つめています。

目次

2. 警察署刑事課幹部時代の実践:十数回の執拗な架電で「偽計業務妨害罪」を適用した真意

私がこのように「現場ファースト」の思想に強くこだわるのは、私の警察官時代の強烈な実体験が背景にあるからです。

よく新聞やニュースなどで、「無駄な苦情電話を何百回、何千回と執拗にかけてきた悪質な人間をようやく逮捕した」という報道を目にされたことがあると思います。世間一般の認識、ひいては当時の警察組織の一般的な感覚としても、「数百回、数千回という異常な回数に達して初めて事件化(逮捕)できる」と考えられていました。

しかし、私は警察署の刑事課幹部を務めていた当時、そのような常識に甘んじることは現場を疲弊させるだけだと確信していました。目的外の嫌がらせ電話や、用件が終わっても切ってはかけ直してくるような悪質な事案に対し、私はただ回数が積み重なるのを待つようなことはしませんでした。

組織として取るべき必要な手続き、適切な段取りを戦略的に踏んだ上で、相手とのやり取りを徹底的に「証拠化」したのです。そして、世間の常識を覆し、わずか「十数回」の架電の段階で、偽計業務妨害罪を適用して犯人を逮捕・事件化しました。

この決断に踏み切った理由は唯一つ、当時部下であった刑事や最前線の係員たちの心身を守るため、すなわち「現場ファースト」を貫くためでした。数千回に達するまで現場の人間を摩耗させてはならない。正しい手続きを構築すれば、わずか十数回でも十分に犯罪として立証できることを実証したのです。

昨今、ようやく警察組織全体や社会全体が、偽計業務妨害罪などを適用して悪質なハラスメント加害者を迅速に逮捕・排除する潮流へと変わってきました。当時、最前線で孤独に苦悩していた部下たちの姿を見てきた私としては、ようやく現場の苦労に時代と法律のスポットライトが当たった、という深い実感を抱いています。

3. 医療業界を縛ってきた「応招義務」と「接遇マナー研修」の限界

一般の事業体が顧客対応の強化に乗り出したのと同等、あるいはそれ以上に、医療業界においても「いかに不満や怒りを持つ患者をなだめるか」「納得しない患者を接遇や応対の技術によっていかに収めるか」というマナーマネジメントの研修に長年終始してきました。それらを超えた悪質な言動に対して、組織としてどう具体的に対応すべきかという「防衛・危機管理」の視点は、社会一般の企業と同様に医療機関にも決定的に欠落していたのです。

特に医療業界が深刻だったのは、医師法第19条第1項に定められた「応招義務」という巨大な大前提が存在したためです。「正当な事由がなければ診療を拒否できない」というこの法律に縛られるあまり、医療機関側は「どれほど理不尽な要求や暴言を吐かれても、応対と接遇で怒りを収めていただくしかない」という極めて厳しい状況に追い込まれ、現場の忍耐のみで維持されてきました。

👉 応招義務の真実や、行政による監督とハラスメント防衛の境界線については、こちらの記事でさらに詳しく論じていますので合わせてお読みください。 【応招義務】診療拒否はどこまで許される?2019年厚労省新通知とハラスメントを防ぐ4つの境界線https://shibaken-poli.com/2026/07/03/%e5%bf%9c%e6%8b%9b%e7%be%a9%e5%8b%99%e3%81%ae%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e7%9a%84%e7%9c%9f%e5%ae%9f%ef%bc%9a%e3%80%8c2019%e5%b9%b4%e5%8e%9a%e5%8a%b4%e7%9c%81%e9%80%9a%e7%9f%a5%e3%80%8d%e3%81%ae%e8%a1%9d/

しかし、時代は大きく変わりました。労働施策総合推進法の改正(カスハラ対策の義務化・法制化)により、事業体におけるカスタマーハラスメントに対する毅然とした対応が義務付けられたことに伴い、厚生労働省の通達でも応招義務の「正当な理由」の解釈が拡大・明確化されました。現在では、著しい迷惑行為やハラスメントを働く患者に対する診療拒絶は、医療安全や職場環境を守るための「正当な理由」に該当すると正式に認められたのです。

社会では未だに「クレーマーは宝、ハラスメントは環境破壊」という二重基準のまま、現場に我慢を強いる風潮が残っていますが、医療業界こそ、この古い呪縛から決別しなければなりません。

4. すべてはハラスメント対策の枠組みに入る:「ゴムマリ理論」の一元管理

私はペイシェントハラスメント(ペーハラ)対策として「ゴムマリ理論」を提唱し、推奨しています。これは、持ち込まれた苦情を最初から「これはクレーム」「これはハラスメント」と切り離して別々に扱うという意味ではありません。

窓口に持ち込まれるあらゆる苦情や申し立ては、その対応要領や判断基準の初期段階において、すべて「ハラスメント対策・危機管理」という一元的な枠組みの中に包括されると考えます。その大きな枠組みの中で、医療機関側が果たすべき「やるべきこと(誠実な対応)」の面積(守備範囲)が、相手の態度や時間の経過、あるいは病院側の過失の有無というケースバイケースの状況によって広く伸縮するのです。

例えば、病院側にミスがあった場合や、相手が情報格差による不安から一時的に感情的になっている場合、私たちが果たすべき「やるべきこと」の範囲は広く設定されます。誠実に説明を尽くし、不安を解消する。逆に、「診察なしで薬だけ出せ」と法令にも反する内容については、その説明ないしは「それはできませんよ」とその範囲は狭くなる。これは、ハラスメント対策の枠組みにおける「初期の適切な対応」そのものです。

しかし、この「やるべきこと」の範囲は無限ではありません。必要な説明を尽くし、組織としての誠実な対応を行っているにもかかわらず、なお執拗に不当な要求を繰り返す、あるいは「時間の経過」とともに態度がエスカレートしていく場合、医療機関側が果たすべき守備範囲は急速に狭まり、限界点を迎えます。

伸縮する守備範囲の境界線を超えた相手の行動や態度は、もはや対話を続けるべき対象ではありません。その限界点を越えた瞬間からは、一切の躊躇を捨て、組織防衛としてのハラスメント対策(毅然とした対応、診療拒絶、退出命令、警察連携など)へと一貫した基準のまま移行する。この一元管理の思想こそが、最前線で働く職員を孤独な我慢から救い出すのです。

5. 病院の利益のための「クレーム」とは、事後的に認識される意義である

では、「クレームは病院のためになる」という従来の固定観念や、クレームそのものの意義はどう解釈すべきでしょうか。「クレームだからハラスメント対策は取ってはいけない」というような萎縮効果を生まないために、私たちはクレームという言葉の意義を、以下のように完全に再定義する必要があります。

病院の上層部から「クレームの意義とは何か?」と問われたとき、それは最初から切り離された別枠の存在ではなく、「一元的なハラスメント対策の枠組み(やるべきこと)の中で誠実に対応し、事案が解決した後に、事後的に『あれはクレームだったのだ』と認識されるもの」と位置づけるべきです。

ハラスメント対策の一環として「やるべきこと」を尽くした事案のなかで、その後の「再発防止策」や「業務改善」へと見事につながった以下の3つのケースについてのみ、事後的にその意義を「組織のためになるクレームだった」と定義すればよいのです。

① 医療機関と患者の「情報格差」に起因する不安・恐れ・心配からの感情表出

専門知識を持つ医療機関と患者との巨大な情報格差ゆえに生じる「不安」や「疑問」に対し、ハラスメント対策の初期対応として誠実向き合う。事案解決後、その不安の原因を以後の説明プロセスや接遇の改善へとフィードバックできたとき、それは事後的に「貴重なクレーム事案であった」と認識されます。

② 病院側の明確な「ミス(過失)」に対する申し入れ

医療行為や事務手続きにおける病院側の非に対し、真摯に謝罪と説明を行う。その後、ミスをなくすための再発防止措置や安全管理体制の強化へと確実につなげられたとき、その事案は「組織を正してくれたクレーム」としての意義を持ちます。

③ 病院の対応要領(接遇・手続き)や施設・設備に関する様々な要望・意見・改善要求

受付の応対や手続きの段取り、院内設備や駐車場の利便性に関する申し入れです。これらに対して適切な範囲で環境改善を講じ、病院のサービス向上に直結させることができたとき、初めて「病院の利益となるクレーム」であったと事後的に位置づけられます。

このように、最初から二つの基準で仕分けるのではなく、「すべての事案をハラスメント対策(危機管理)として一元的に扱い、やるべきことをやる。そして、その事案の経験が再発防止や業務改善へと昇華されたとき、あれは医療のために必要な大切なクレームだったのだと振り返る」というスタンスが正解です。この理解こそが、現場の萎縮効果を完全に排除し、病院の利益、ひいては患者全体の利益を守るための強固な医療ガバナンスへとつながるのです。私はこの革新的な視点を、これからも強く社会に訴え続けてまいります。

6. 結び:現場ファーストの医療ガバナンスを共に築くために

「クレームは会社のため、ハラスメントは職場環境を害するもの」という二重基準による運用は、現場に過剰な忍耐を強いるだけでなく、組織の危機管理を著しく萎縮させます。これからの医療経営・ガバナンスに求められるのは、綺麗事を排した「現場ファースト」の視点です。あらゆる事案をハラスメント対策という一つのガバナンスの中に組み込み、自組織のミスや対応要領・施設の不備に関する様々な改善要求には真摯に向き合うという「やるべきこと」を徹底する一方で、その伸縮する限界点を越えた悪質な言動に対しては、組織が即座に介入して職員を守る盾となる。この一元的かつ一貫した防衛体制の確立こそが、医療従事者の安全安心を確保し、ひいては医療安全と患者サービスの質を向上させる唯一の基盤となります。そうすれば、「それはクレームだから我慢して対応し続けなければいけない」などの委縮効果を生むことなく、是は是非は非で、対応が可能となってくるのです。

医療機関における患者トラブルや職員のメンタル保護は、病院の経営基盤を揺るがしかねない重大なリスクマネジメント案件であり、古い固定観念を改め、現場が本当に安心できる組織統治へと舵を切るべき時がまさに今です。現場を萎縮させない具体的な対応マニュアルの策定や、組織体制のアップデート、あるいは対応に苦慮する具体的なトラブルにお悩みの際はどうぞ私にご相談ください。

私は元警察署長であり、かつて警察署の刑事課幹部時代には、目的外の架電を執拗に繰り返す悪質なクレーマー事案に対し、必要な段取りを踏んで証拠化し、わずか十数回の架電段階で「偽計業務妨害罪」を適用して事件化するという、現場の係員を守るための最先駆的な防衛策を実践してきました。その後、国税庁や財務省への出向経験を通じて、組織統治やリスクマネジメントの高度なガバナンスノウハウを蓄積し、現在は福岡市医師会の安全対策支援アドバイザーとして市内の病院で数多くの相談対応や実務研修、講話を行い、看護学校での講師も務めております。

現場ファーストの理念に基づき、机上の空論ではなく、皆様の病院の最前線で働くスタッフが本当に安心できる強固な防衛体制を共に築くため、専門家として丁寧に伴走いたします。一人で、あるいは現場だけで抱え込まず、いつでもお気軽にお声がけいただければ幸いです。

👉 公的エビデンス:厚生労働省の公式指針はこちら 組織として講ずべきハラスメント対策の公的な基準については、厚生労働省発出の以下の指針をご確認ください。 【厚生労働省】労働施策総合推進法に基づく「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」 (https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf

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