1. はじめに:熊本を襲った大地震と未だ見えぬ被害の全貌
昨日、熊本を震源地とする最大震度7という非常に大きな地震が発生しました。現時点では発生直後ということもあり、被害の正確な実態や全貌は未だ明らかになっていません。しかし、初期報道からも、高速道路の崩落や多数の家屋の倒壊、さらには大型商業施設での火災など、甚大な被害が予想されています。インフラの寸断や家屋の喪失により帰宅困難となっている方々、避難所で不安な夜を過ごされている数多くの方々に、心よりお見舞い申し上げます。一人でも多くの方が無事に救出され、安全が確保されることを深く祈るばかりです。
本稿のテーマである「ペイシェント・ハラスメント対策」と、この被災地の事象は、一見すると直接関係がないように思えるかもしれません。しかし、被災地で活動する人々の姿を通じて、医療機関におけるハラスメント問題の「根本的な課題」に関わる大切な気づきがありました。元警察署長としての経験も交えながら、私が強く感じたこと、そして私たちが目指すべき社会のあり方について、ここで述べさせていただきます。社会を根底で支える人々への敬意と、安全な医療環境を守るためのヒントを得ていただければ幸いです。
2. 報道の裏側で黙々と任務を遂行する治安部隊の真実
地震発生直後から、現場には警察、消防、海上保安庁、自衛隊などの治安・救出部隊がいち早く駆けつけています。報道では、倒壊した家屋や寸断された道路で懸命に救助や復旧にあたる彼らの姿が断片的に伝えられますが、カメラの枠外にも非常に多くの隊員が派遣されています。現時点では九州各県を中心とした部隊が最優先で活動していますが、被害状況によっては応援の輪が全国へと広がっていくことでしょう。
彼らが直面しているのは、余震が続く危険な中、暗闇で瓦礫を撤去し、交通整理を行い、パニックに陥る人々の安全を確保するという極限の環境です。一度派遣されれば帰宅は困難であり、いつ家族の元へ帰れるかも分かりません。私自身、過去に警察官や警察署長として有事の極限状態を幾度も経験してきたからこそ、彼らがどれほどの覚悟と疲労、精神的重圧の中で職務を全うしているかが痛いほど分かります。
治安部隊のこうした自己犠牲の精神を象徴する痛ましい出来事として、平成23年(2011年)の東日本大震災における警察官の殉職事案が挙げられます。当時の警察白書等の記録によれば、岩手・宮城・福島などの沿岸部において、住民の避難誘導や情報収集にあたっていた警察官が津波に飲み込まれ、被災地全体で30名もの方が命を落とし、あるいは行方不明となりました。大津波警報が鳴り響く極限状況の中、彼らは自らの避難を後回しにし、濁流が迫る最後の瞬間までパトカーのマイクで「早く高台へ逃げて!」と住民に避難を呼びかけ続けたのです。
報道では被害の甚大さや被災者の苦悩が中心に伝えられます。それは社会に危機を知らせる上で重要ですが、一方でこうした支援者の心情に触れられることはほとんどありません。「それは彼らの職務だから当然だ」という無言の前提があるからです。確かにプロとして当然の責務ですが、彼らにもまた愛する家族がおり、本来なら一番に家族の元へ駆けつけ、実家の安否を確認したかったはずです。それでも私情を押し殺し、社会のために、見知らぬ誰かの命を救うために黙々と任務を全うしているのです。過酷な環境下で文句一つ言わず作業する姿を見るたび、私は強く心を打たれ、自然と涙が溢れます。
3. 家族より命を優先する医療従事者たちの崇高な使命
この自己犠牲と献身の精神は、医療従事者にも全く同じことが言えます。被災地の基幹病院の一つである「済生会熊本病院」などには、すでに多くの負傷者が搬送されているとの初期情報が入っています。現場の医療従事者たちは今この瞬間も、次々と運び込まれる患者の対応に追われていることでしょう。停電や断水のリスクの中、予備電源を稼働させながら、廊下でのトリアージや緊急手術など、野戦病院のような凄絶な状況で命と向き合っているはずです。
医師、看護師、救急救命士といった医療従事者たちにも、心配して待つ家族がいます。自らも被災者であり、自宅や家族の無事が確認できない極度の不安の中にいるかもしれません。しかし、彼らは目の前の命を助けるため、不満や文句を一切口にすることなく、黙々と治療やケアを続けています。事態が落ち着くまでは家に帰ることもままならず、不眠不休の作業が続くことでしょう。
治安部隊と医療従事者に共通するのは、「徹底的に世のため、人のため、社会のために尽くす」という理念のもとで厳格な教育や研修を受け、その崇高な精神を基盤として職務に励んでいる点です。医療機関では、日頃から「患者さんの命と安全を第一に考える」ことが徹底して叩き込まれています。災害時や緊急事態においても、自らを犠牲にして他者の命と安全を守り、一糸乱れぬ行動をとるよう訓練されている職種が、他にどれほどあるでしょうか。
4. 悲しい現実:当たり前と見なされる献身への無関心
ここで私たちが直視しなければならない悲しい現実は、マスコミ報道がこうした「支援する側の人々の犠牲や人間としての心情」にほとんど触れないということです。裏を返せば、それは「あなたたちはそういう職業を選んだのだから、やって当たり前だ」という社会からの冷酷なメッセージのようにも感じられます。
確かに、プロフェッショナルとして当たり前の側面があることは否定しません。しかし、一人の「人」としての気持ちを考えたとき、医療従事者も地域住民も、同じように悲しみや不安を抱える同じ人間です。本来であれば、同じ境遇にある者として、お互いに手を差し伸べ、気遣うべき存在ではないでしょうか。それすら叶わぬ過酷な現実の中でひたすら職務を続ける人々に対し、社会全体がもっと温かい眼差しを向けるべきだと私は思います。
社会の基盤を命がけで支えている人々の「当たり前の献身」に気遣い、敬意を払うことこそが、本当の意味での豊かな人間性であり、成熟した地域社会の姿です。「理想の社会」とは、権利を主張し合うだけでなく、お互いが尊重し、思いやりを持って気遣い合う社会のはずです。この視点が欠け落ちていることに、私は深い悲しみを覚えます。
5. ペイシェント・ハラスメントの深刻化と福岡県の実態データ
こうした「相手を尊重し、気遣う気持ち」の欠如は、現在医療現場で深刻な社会問題となっている「ペイシェント・ハラスメント(患者や家族からの暴言・暴力など)」の根底にも繋がっていると私は考えています。
医療従事者は「患者さんに寄り添うこと」を徹底的に学んでいます。災害時の献身的なケアも、その延長線上にあります。それにもかかわらず、その献身に対して心無い言葉を浴びせたり、理不尽な要求を突きつけたりするハラスメントが年々増加している悲しい現実があります。
これを裏付ける具体的なデータがあります。令和5年(2023年)に福岡県が実施した「在宅の医療及び介護現場における利用者等からの暴力・ハラスメント実態調査」や、令和7年(2025年)に日本医療労働組合連合会(医労連)などの労働組合がまとめた直近のアンケート結果によれば、医療・福祉現場で働く方の実に60%以上が、「過去に患者や顧客から暴言や理不尽な要求などのハラスメント被害に遭ったことがある」と回答しています。
さらに胸を締め付けられるのは、被害に遭った方の約20%から30%もの人々が「ハラスメントが原因で仕事を辞めようと思った」、あるいは「実際に退職を検討した」と答えている事実です。地域の命を必死に支える医療従事者たちが、心無い一部の行為で心身をすり減らし現場を去っていく。これほどの社会的損失はありません。
このような現場の悲痛な実態があるにもかかわらず、条例制定など地元の行政側の対策整備は全国の自治体から大きく遅れをとっているのが現状です。この危機的状況と行政への素朴な疑問については、過去のブログでも強く警鐘を鳴らしています。あわせてお読みください。 👉【危機】福岡県と福岡市のカスハラ対策はなぜ遅れるのか?現場を置き去りにする議会と執行部への素朴な疑問 https://shibaken-poli.com/2026/06/06/%e3%80%90%e5%8d%b1%e6%a9%9f%e3%80%91%e7%a6%8f%e5%b2%a1%e7%9c%8c%e3%81%a8%e7%a6%8f%e5%b2%a1%e5%b8%82%e3%81%ae%e3%82%ab%e3%82%b9%e3%83%8f%e3%83%a9%e5%af%be%e7%ad%96%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%9c%e9%81%85/
6. 私たちが目指すべき「お互いを尊重し合う社会」とは
治安部隊が社会の安全を守るインフラであるように、医療機関もまた地域の命と健康を支えるかけがえのないインフラです。私たち市民一人ひとりが、お互いを一人の人間として尊重し、「当たり前の日常」を支えてくれることへの感謝を持っていれば、ペイシェント・ハラスメントはここまで深刻化しなかったはずです。
現在、多くの医療機関が組織を挙げてハラスメント対策を急務として進めています。しかし忘れてはならないのは、医療機関を訪れる患者さんの99%は、守るべき善良な方々であるということです。その大多数の善良な皆様におかれましては、ぜひ医療機関が担う崇高な使命や重い責任に対して感謝や敬意を払っていただいた上で、医療現場の安全を守るためのハラスメント対策の推進に、どうかご理解とご協力をいただきたいのです。課題の根本解決には、制度だけでなく、私たち一人ひとりの心のあり方が問われています。
7. まとめと結び
熊本での未曾有の危機を前に、自らの危険や家族への思いを後回しにして黙々と任務を遂行する治安部隊や医療従事者たちの姿。彼らの献身は決して「当たり前」の言葉で片付けてよいものではありません。そして、その献身を当たり前と見なす社会の無関心が、ハラスメントという深刻な問題の温床になっています。私たちは今一度、社会のインフラを命がけで支える人々に対し、人間としての敬意と感謝の念を持ち、お互いを尊重し合う社会を築き上げていく必要があります。善良な大多数の皆様とともに、安心で安全な医療環境を守り抜くことが、これからの地域社会に求められる最大の責務です。
【ご相談・お問い合わせ】 私は、元警察署長としての危機管理経験や財務省・国税庁への出向経験を経て、現在は看護学校の講師や福岡市医師会の安全対策支援アドバイザーを務めております。これまで市内の病院で数多くの相談対応や研修・講話を行ってまいりました。
組織の安全管理やハラスメント対応などでお困りのこと、ご相談になりたいことがございましたら、どうぞ遠慮なく柴田建一(シバケン)までご相談ください。担当者様が個別でお悩みの場合も、秘密は厳守いたしますのでご安心してお気軽にご連絡ください。
👉 公的エビデンス:厚生労働省の公式指針はこちら 組織として講ずべきハラスメント対策の公的な基準については、厚生労働省発出の以下の指針をご確認ください。 【厚生労働省】労働施策総合推進法に基づく「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」 (https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf)
