【契約外サービスの罠】訪問介護・看護を守る現場対応とカスタマーハラスメント防止策

目次

■ 導入:在宅ケアの最前線で奮闘される皆さまへ

超高齢社会を迎えた現代の日本において、住み慣れた自宅で暮らし続けたいと願うお年寄りとそのご家族を支える訪問介護や訪問看護の存在は、地域社会を足元から支える極めて尊いインフラです。連日の激務の中、並々ならぬ責任感と真心を持って利用者さんのご自宅へ足を運び、手厚いケアを提供されている従事者の皆さま、そして事業所の運営やスタッフの配置・調整に奔走される経営者・管理職の皆さまに、心より敬意と感謝を申し上げます。

しかし、その社会的な価値の高さとは裏腹に、訪問介護や訪問看護の現場は、病院や施設以上に深刻なカスタマーハラスメント(カスハラ)のリスクに晒されています。病院などの医療機関であれば、医療従事者側のホームグラウンドであり、周囲の目や体制が整っています。これに対して訪問ケアは、利用者さんやご家族の自宅という「完全なアウェイ(相手の敷地・密室空間)」で一対一(あるいは一対多)で行われるため、心理的にも物理的にも圧倒的な孤立感を抱えやすいという構造的課題があります。

特に現場で頻繁に発生し、トラブルの火種となるのが「契約に乗っていない利用目的外のサービス(契約外サービス)」の要求です。「目の前のお年寄りのために」「少しでも寄り添い、良い人間関係を作りたい」という従事者側の純粋な善意から始まった些細な手伝いが、いつしか相手の中で「やってもらって当たり前」という歪んだ認識に変わり、エスカレートした果てに激しい暴言や不当要求、さらには裁判沙汰にまで発展してしまうケースが後を絶ちません。

このブログを読むことで、なぜ契約外サービスがカスタマーハラスメントや重大な事故リスクを引き起こすのかという構造的背景を理解し、実際に起きた裁判例から教訓を汲み取るとともに、現場のスタッフが個人で抱え込まずに毅然と対応するための具体的な「断り方の基本要領」と「組織ガバナンスのあり方」をご理解いただけます。

1. 統計データが証明する訪問介護・看護におけるハラスメントの深刻な実態

訪問介護や訪問看護の現場で働く人々が感じている不安や疲弊は、単なる気のせいではなく、公的な調査データによっても客観的に立証されています。

厚生労働省が実施した「介護現場におけるハラスメントに関する調査研究事業報告書」や、各自治体の実態調査(例えば、福岡県が公表した「在宅の医療及び介護現場における利用者等からの暴力・ハラスメント実態調査」など)の客観的データによりますと、訪問介護や訪問看護に従事する職員のうち、利用者やそのご家族から何らかのハラスメント(暴言、暴力、不当要求、セクハラなど)を受けた経験がある割合は実に半数を超え、訪問系サービスに限定すると約7割近くの事業所や従事者がハラスメントの存在を認知・経験しているという衝撃的な数字が出ています。

さらに見過ごせないのは、ハラスメント被害を受けた従事者のその後の影響です。同種の調査において、ハラスメントを受けたことが原因で「仕事を辞めたくなった」「休職した」「実際に退職した」と回答した割合は、全体で約4割(40パーセント前後)に上っています。

現在、介護・医療分野における人手不足は社会問題化しており、有効求人倍率も極めて高い水準で推移しています。これほどまでに貴重な現場の専門人材が、利用者や家族からの理不尽なハラスメントによって精神的に追い詰められ、年間数多く現場を去っていく現実は、事業所の存続を脅かすだけでなく、地域医療・介護の提供体制そのものを根底から揺るがす深刻な危機と言わざるを得ません。

そして、このハラスメントの引き金として最も多く見られる入口の一つが、契約内容やケアプランに含まれていない「契約外サービスの要求」なのです。

2. 「良かれと思ってやるちょっとしたこと」が最悪のハラスメントに発展するメカニズム

訪問介護や訪問看護の現場に立つ従事者は、非常に責任感が強く、心優しい方が多くいらっしゃいます。そのため、訪問先で利用者さんから「ついでにちょっとこれお願いできる?」「困っているから助けて」と頼まれると、「これくらいの作業なら大した手間ではない」「少し手伝ってあげることで相手が喜び、良好な信頼関係が作れるなら」と、親切心から引き受けてしまいがちです。

例えば、以下のような要求が典型例として挙げられます。

  • 「ついでに、あの部屋の大きな窓拭きや大掃除もやっておいて」
  • 「庭の草むしりや、ペットのエサやり、犬の散歩もついでにお願いね」
  • 「指定のスーパーではなく、遠くの安い店まで買い物に行ってきて」
  • 「家の中の重いタンスや冷蔵庫の移動を手伝ってほしい」
  • 「訪問時間が終わっても、家族が帰ってくるまで一緒にいて話相手になって」

これらはすべて、介護保険制度や事業所との利用契約、ケアプランに定められた範囲を明確に逸脱した行為です。

しかし、従事者が「今回だけ特別に」と善意で対応してしまうと、相手の心理には危険な変化が生じます。人間は一度与えられた特別な利便性を、二度目以降は「権利」として受け止める傾向があります。つまり、利用者やご家族の頭の中で「頼めば何でもやってくれるのが訪問介護だ」「お金を払っているのだから、言った通りにするのが当然だ」という間違った認識が定着してしまうのです。

こうして前提が「やってくれて当たり前」にすり替わってしまうと、次回別のスタッフが訪問した際や、本来の業務が多忙で断ろうとした瞬間に、相手の不満が一気に爆発します。

「前のヘルパーはやってくれたのに、なぜお前はやらないんだ!」

「不親切な対応をするな、契約を切るぞ!」

「お金を払っている利用者に向かってその言い方は何だ!」

このように、個人の善意から始まったはずの関わりが、相手の特権意識や身勝手な主張を肥大化させ、最終的には理不尽な暴言や長時間の拘束といったカスタマーハラスメントへとエスカレートしていきます。一人のスタッフが良かれと思ってルールを破った行為が、結果として後から行く他のスタッフの安全を脅かし、組織全体の防衛線を壊してしまうのです。

👉 あわせて読みたい関連記事ペイシェントハラスメントや過度な不当要求への対応は、まさに「一番最初の初期対応」が運命を分けます。初期の段階で「その場しのぎの配慮」をしてしまうと、後から軌道修正することは極めて困難になります。初期対応の肝とリスク管理の盲点について詳しく知りたい方は、ぜひこちらの記事もあわせてお読みください。【危機管理の盲点】クレーマーを暴徒化させる「その場しのぎの配慮」と決別するハラスメント対策https://shibaken-poli.com/2026/07/26/%e3%80%90%e5%8d%b1%e6%a9%9f%e7%ae%a1%e7%90%86%e3%81%ae%e7%9b%b2%e7%82%b9%e3%80%91%e3%82%af%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%bc%e3%82%92%e6%9a%b4%e5%be%92%e5%8c%96%e3%81%95%e3%81%9b%e3%82%8b%e3%80%8c/

3. 裁判例から学ぶ教訓:東京地裁令和3年9月16日判決に見る「安全配慮義務」と致命的リスク

契約外サービスを引き受けることの危険性は、ハラスメントの発生だけにとどまりません。万が一、作業中に事故が発生した場合、事業所や従事者個人が巨額の損害賠償責任を問われ、法的な紛争の矢面に立たされるという壊滅的な「事故・裁判リスク」を孕んでいます。

ここで、訪問介護の現場における契約外サービスと安全配慮義務が正面から争われた、極めて教訓深い裁判例をご紹介します。

裁判例:東京地方裁判所 平成31年(ワ)第2352号 損害賠償請求事件(令和3年9月16日判決)

この裁判は、訪問介護事業所の介護ヘルパーが利用者の居宅を訪問した際、利用者からの依頼を受けて2階の部屋で片付け作業(契約外の作業)を行っていたところ、利用者が2階の階段付近から誤って足を踏み外し、階下に転落して怪我を負ったという事案です。

原告(利用者側)は、「ヘルパーは利用者が危険な行動をとることを予見し、制止するなどの安全配慮義務があったにもかかわらずそれを怠った」と主張し、事業所側に対して多額の損害賠償を求めて訴えを起こしました。

裁判所の判断として、最終的には「ヘルパーは当時、別室で片付け作業に集中しており、利用者が転落の危険がある行動をとっていることを認識しておらず、事故を予見することは物理的に困難であった」として、ヘルパー側の安全配慮義務違反(過失)は否定され、原告側の損害賠償請求は棄却されました。

この判決が現場に突きつける冷徹な教訓

この裁判では、結果として事業所側の賠償責任は免れました。しかし、この判例が私たちに教えてくれる真の恐ろしさは、「たとえ利用者から頼まれた親切心や善意の行動であったとしても、契約外の作業を行っている最中に万が一事故が起きれば、数年間に及ぶ過酷な民事裁判の被告として引きずり出され、徹底的な責任追及を受ける」という現実です。

もし、この事件において「ヘルパーの目の届く場所で事故が起きた」「作業の指示や誘導に少しでも不備があった」と判断され、事故との因果関係や予見可能性が認められていたならば、事業所や従事者個人は億単位に及ぶ賠償金を支払わなければならなかったかもしれません。考えるだけでもゾッとする話です。

事業所が加入している一般的な損害保険や賠償責任保険は、あらかじめ合意された「適切なケアプランおよび契約の範囲内」で発生した事故を前提として作られています。契約外の作業中に発生した事故に対しては、保険が適用されず、全額自己負担となるリスクも存在します。

「目の前の利用者さんに喜んでもらいたい」という安易な妥協や寄り添いが、巡り巡ってサービスそのものを継続できなくさせ、事業所の存続や職員の人生を破壊する致命的な事態を招くことを、私たちは強く認識しなければなりません。

4. 現場を守る具体的な対応要領:共感を示しつつ「組織とルール」を盾にする断り方

では、訪問現場で利用者さんやご家族から「ちょっとこれやってよ」「ついでに頼むね」と言われた際、現場の従事者はどのように対応すべきでしょうか。

目の前にいるお年寄りを冷たく突き放したり、ケンカ腰に拒絶したりすれば、その場で感情的な反発を招き、不要なトラブルに発展してしまいます。人間関係や信頼関係が十分に構築できていない段階であればなおさらです。

そこで私が現場の講話や研修で指導しているのが、「まずは相手の困りごとに共感を示しつつ、私個人の意思ではなく『事業所のルールと契約』を理由にして静かに断る」という基本対応要領です。

現場でそのまま使える具体的な会話例

【利用者からの要求】

「ヘルパーさん、ついでに庭の草むしりと、あっちの部屋の大掃除もやっておいてよ」

【現場スタッフの切り返しフレーズ】

「〇〇さん、お一人でこれだけの庭のお手入れや大掃除をされるのは、本当に大変ですよね。お困りの気持ちはすごくよく分かりますし、私でお力になれるなら、本当にお手伝いしてあげたい気持ちでいっぱいなんです」

(※まずは相手の感情や困りごとにしっかりと『共感』を示し、味方であることを伝えます。その上で、表情を穏やかに保ちながら言葉を続けます)

「ただ、大変申し訳ありません。当事業所の決まりと介護保険の契約により、あらかじめ決められたケアプラン以外の作業を私個人の判断で行うことは固く禁じられているんです。万が一、作業中に事故や怪我があった場合、〇〇さんにもご迷惑がかかってしまいますので……。私から一度事業所に持ち帰って、責任者に『〇〇さんがこうしてお困りです』と確認して相談させていただきますね」

この対応要領が持つ3つの効果

  1. 相手の感情を逆なでしない:最初に「大変ですね」「助けてあげたい」という共感を挟むことで、相手は「自分の存在や困りごとを否定された」と感じにくくなり、感情的な爆発を防ぐことができます。
  2. 断る理由を「個人の判断」にしない:「私がやりたくないから断る」のではなく、「私はやりたいけれど、事業所のルールと契約がそれを許さない」という構造にすることで、ハラスメントの矛先が現場スタッフ個人に向かうのを防ぎます。
  3. 組織の対応へと引き上げる:「事業所に持ち帰って確認する」と伝えることで、その場での押し問答を強制的に終了させ、管理職やケアマネジャーが前面に出て対応する「組織対応」へとフェーズを移行させることができます。

現場の従事者個人に「断る判断の重荷」を背負わせて孤立させてはいけません。事業所全体として「契約外サービスは受けてはならない」という鉄のルールを共有し、組織が現場スタッフの強力な「盾」となるガバナンス体制を構築することが何より不可欠です。

5. 時代とともに変わる人間関係と、法改正(労働施策総合推進法)が映し出す社会の有様

ここで少し視点を変えて、私たちが生きる現代社会の人間関係や信頼関係の変化について考えてみたいと思います。

かつての日本では、地域のコミュニティや人と人との繋がりの中に、目に見えない強い信頼関係や「お互い様」という譲り合いの精神が息づいていました。お互いの立場や専門性を尊重し合い、敬意を払いながら付き合っていた時代です。そのような社会環境であれば、時には契約の枠を少し越えた助け合いがあったとしても、断られた際に「何か事情があるのだろう」「無理を言っては申し訳ないな」と相手を思いやる気持ちが自然と働き、深刻なトラブルに発展することは希薄でした。トラブルが起こっても、「お互い様」という譲歩する謙虚な気持ちを多くの人が持っていたように思います。

しかし、現代社会においては、核家族化や地域社会の崩壊が進み、人と人との人間関係が著しく希薄化してしまいました。そして、その希薄化した関係性の中で「自分はお金を払っている顧客だ」「権利があるのだから何を要求してもいい」という歪んだ主権者意識だけが肥大化し、それがカスタマーハラスメントという形で社会表面に噴出しているのです。

今年、2026年(令和8年)にも議論や対策が加速している「労働施策総合推進法」に基づくカスタマーハラスメント防止対策の事業者への義務化や公的な指針の策定されました。それは、法律や制度によってしか現場の働く人々を守れなくなった現代社会の有様を如実に物語っています。法改正がなされるということは、法律で規制しなければならないほど社会の自制心や相互の信頼関係が壊れてしまったという「立法事実(法律を作る必要が生じた現実の事実)」が存在するということです。元警察官として、また長年危機管理に携わってきた一人の人間として、この現白には深い切なさと寂しさを禁じ得ません。同法律においても、「顧客は自らの言動に注意を払う義務を有している」のはまさに、以前の、「お互い様」の気持ちを皆が持っていたものを法律で規定しなければいけなくなった一人一人の自覚の希薄化です。

本来であれば、法律やマニュアルで細かく規定しなくとも、お互いがお互いを一人の人間として尊重し、感謝と敬意を持って接し、無理な時にはお互いに譲歩し合える関係性こそが理想です。しかし、現実の現場で働く大切な職員たちの命と心身の安全を守るためには、甘い理想論だけに頼るわけにはいきません。

社会の人間関係が変化したからこそ、事業所は冷徹な現実論に基づき、強いガバナンスと明確なルール、そして組織的な防衛線を敷くことによって、善良で真面目な従事者たちを理不尽な害意から死守しなければならないのです。

6. まとめ:毅然とした組織ガバナンスが訪問現場の未来を創る

本ブログでお伝えしてきた重要なポイントをあらためて整理します。

  • 訪問現場のアウェイ感とリスクを認識する:利用者の自宅という密室で行われる訪問介護・看護は、病院以上にハラスメントや孤立のリスクが高い。被害を受けた職員の約4割が離職を検討するという深刻な現状を直視する。
  • 契約外サービスはハラスメントと事故の温床となりうること:善意で引き受けた契約外の作業は、相手の「やって当たり前」という歪んだ意識を育て、暴言や不当要求へとエスカレートする。
  • 裁判例が教える安全配慮義務の重さ:東京地裁令和3年9月16日判決の通り、契約外の作業中に事故が起これば、たとえ善意であっても過酷な損害賠償裁判の矢面に立たされる。
  • 共感と「組織のルール」を盾にした断り方を徹底する:現場ではまず共感を示しつつ、「私個人は助けたいが、事業所の契約ルールで禁じられている」と伝え、組織の対応へと引き上げる。
  • 希薄化した社会だからこそ、組織の防衛線を強固にする:相互の尊重が失われがちな現代だからこそ、事業所トップが毅然とした姿勢を示し、職員を一人で抱え込ませないガバナンスを確立する。

「お年寄りに寄り添いたい」という従事者の尊い気持ちや真心を、一部の理不尽な不当要求によって踏みにじらせては絶対になりません。ルールを明確にし、正しく断る仕組みを作ることは、決して冷たい対応ではなく、現場のスタッフを守り、結果として他の多くの善良な利用者さんに対して持続可能で質の高いケアを提供し続けるための「最大の愛」なのです。

私は、元警察署長としての危機管理経験や、財務省・国税庁への出向経験を経て、現在は看護学校の講師や福岡市医師会の安全対策支援アドバイザーを務めております。これまで依頼に応じて市内の病院や介護施設で数多くの相談対応や研修・講話を行ってまいりました。もし組織の安全管理やハラスメント対応などでお困りのことや、ご相談になりたいことがあれば、どうぞ遠慮なく柴田建一(シバケン)までご相談ください。また、担当者の方が個別にお悩みの場合もあるようですので秘密は厳守しますのでご安心してお気軽にご連絡ください。

本日も最後までブログをお読みいただき、誠にありがとうございました。皆さまの現場が安全で平穏な温かい場所に満たされますよう、心より応援しております。

👉 公的エビデンス:厚生労働省の公式指針はこちら 組織として講ずべきハラスメント対策の公的な基準については、厚生労働省発出の以下の指針をご確認ください。 【厚生労働省】労働施策総合推進法に基づく「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」 (https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf

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