【応召義務の呪縛を解く】形だけのマニュアルを脱却し、職員の安全と安心を実現するペイハラ対応の極意

医療の最前線で日夜命と向き合う職員の方々、そして病院運営の重責を担う管理職の皆様、日々の業務、本当にお疲れ様です。近年、医療現場において患者やそのご家族からの不当な要求や暴言、いわゆるペイシェントハラスメントが深刻な社会問題となっています。理不尽な怒鳴り声や執拗なクレームに心をすり減らし、「医療従事者だから我慢するしかない」と諦めていないでしょうか。このブログを読むことで、現場の職員が本当に安心できる、具体的かつ実用的なハラスメント対策の仕組みづくりについて、深い理解を得ることができます。形ばかりのルールを脱却し、真に職員の心と体を守るための極意を、実例と確かな根拠を交えて深く解説いたします。

目次

労働施策総合推進法の施行と、形骸化したルールの罠

労働施策総合推進法が10月1日に施行されることに伴い、本年2月26日に厚生労働省からハラスメント対策に関する指針が発表されました。この指針の中では、事業者の講ずべき措置義務として、ハラスメント発生時の対応や再発防止対策などのマニュアルを作成することが明確に示されています

👉 公的エビデンス:厚生労働省の公式指針はこちら 組織として講ずべきハラスメント対策の公的な基準については、厚生労働省発出の以下の指針をご確認ください。 【厚生労働省】労働施策総合推進法に基づく「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(令和8年厚生労働省告示第51号)」 (https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf

しかし、私は専門家の立場からここで強く警鐘を鳴らしたいと思います。国が示す「指針」という名のもとに、各事業者や医療機関がただ義務感からマニュアルを作成したとしても、それだけでは職場の安全安心や、現場で働く職員の真の安心感には決してつながらないからです

事業主が「法律で決まっているから、行政の指導対策として形だけ作っておけばいい」という低い意識でいる限り、就業環境の安全安心を図ることは絶対にできません。なぜなら、立派なバインダーに綴じられた分厚いファイルが院長室や事務長室の書棚に飾られていたとしても、いざ受付窓口で怒鳴り散らされたり、深夜の病棟で暴力を振るわれそうになったりした非常時に、そのファイルは職員の身を守る盾にはならないからです。

さらに重要なのは、マニュアル等を形式的に整備しておこうがおくまいが、実際にハラスメントが起きて職員が心身の健康を害してしまった場合の法的リスクは依然として変わらないという事実です。大手の専門会社に多額の費用を支払って、法令用語を網羅した非の打ち所がない完璧なマニュアルを作ってもらったとしても、現場の職員がそれに沿って動けなければ何の意味もないということは、数多くの組織の裏側を見てきた中で非常に多いように感じます。私たちが目指すべきは、書類上の体裁を整えることではなく、今日の夜勤で、明日の外来診療で、現実に職員を守ることができる「生きた仕組み」を作ることなのです。

根本的な意識改革:患者への一方向の奉仕から、職員を守る防波堤へ

これまで医療業界においては、常に「患者を守る」「患者の心に寄り添う」という一方向のベクトルが絶対的な正義とされ、深く根付いてきました。医療従事者の皆様のその献身的な姿勢、高い倫理観には、心から敬意を表します。しかし、悪質なクレームが深刻化し、職員の離職や精神的な不調が相次ぐ現代において、今までと大きく変えなければいけない極めて重要な意識があります。

それは、「足元の職場、職員の安全安心を守る」「現場で働く彼ら彼女らに寄り添う」という、組織から職員へ向けたベクトルの重要性です

労働契約法第5条には、使用者の「安全配慮義務」が明確に定められています。医療機関の経営者や管理者は、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をする法的な義務を負っています。万が一、悪質なハラスメントを放置し、職員がうつ病などの重篤な精神疾患に罹患した場合、病院側は安全配慮義務違反として多額の損害賠償責任を問われる可能性があります。

規約やマニュアル等の整備などは、たしかに事業主としての義務ではありますが、それは安全安心の職場環境を作るための「必要な条件」であっても、「十分な条件」ではありません

「いかにして職場の安全を、理不尽なペイシェントハラスメントから守っていくか」という強い意識と覚悟が経営層や管理者にあれば、現場を守るための様々な知恵が必ず出てくるはずです。大きな制度改革を待つのではなく、目の前にある課題に対して、考えられること、できる小さなことに一つひとつ取り組んでいくことこそが、最大のペイシェントハラスメント対策となるのです

👉 ペイシェントハラスメント対策のための教訓として実際の裁判例から、悪質なクレームや暴言に対して組織がどのような責任(安全配慮義務)を問われるのか、より深く学びたい方はこちらの記事もあわせてご覧ください。 【判例から学ぶ教訓】平成27年さいたま地裁川越支部判決に学ぶ薬局のクレーム・暴言・威圧対策 [https://shibaken-poli.com/2026/07/30/%e3%80%90%e5%88%a4%e4%be%8b%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6%e6%95%99%e8%a8%93%e3%80%91%e5%b9%b3%e6%88%9027%e5%b9%b4%e3%81%95%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%be%e5%9c%b0%e8%a3%81%e5%b7%9d%e8%b6%8a%e6%94%af/]

応召義務の呪縛を断ち切る「切電マニュアル」の実践

私が実際の現場で指導し、推奨している「小さな一つひとつのこと」の中でも、現場の負担軽減に絶大な効果を発揮するものがあります。それが、各医療機関における「切電(電話を切る)マニュアル」の作成と運用です

通常の企業であっても、顧客を相手に自ら電話を切ることは大きな心理的負担を伴います。ましてや病院においては、医師法に基づく「応召義務(正当な事由なく診療を拒んではならない義務)」という、非常に厚く高い壁が存在します。そのため、長年にわたり現場の職員には「医療機関である以上、自分たちから電話を切るということはありえない」という強い固定観念が刷り込まれてきました

しかし、現実の現場では、一方的に電話をかけてきて、延々と理不尽な主張を繰り返すケースが後を絶ちません。いくら丁寧に説明しても一向に納得せず、一つの電話に時間だけが奪われ、他の急患対応や重要な業務ができなくなってしまったというハラスメントの被害を本当によく聞きます。電話回線が占有されることは、本当に救急を要する他の患者の命を危険に晒すことにも直結します。

本来であれば、適切な応対や言葉遣いを尽くして対話を打ち切る、あるいは相手に渋々でも納得いただいた上で電話を切るというのが当然の筋道です。しかし、それでもなお執拗に迷惑行為を続ける相手に対しては、あらかじめ組織としての明確な「基準」を設け、毅然とした対応をとる必要があります。

そこで有効なのが、以下のような具体的な迷惑行為を想定して明文化した「切電マニュアル」を作り、電話機のすぐそばに備え付けておくことです

30分以上、通常理解できる説明を行っても納得しない場合

  • 職員に対する人格否定、侮辱、差別的な発言、プライバシーの侵害があった場合
  • 罵詈雑言、名誉棄損にあたる言葉を浴びせてきた場合
  • 大声や威圧的な態度で恐怖を与えてきた場合
  • 卑猥な言葉、わいせつな発言、セクハラ的言動があった場合

これらの明確な基準に該当した場合、職員は相手の言葉に怯えることなく、「ハラスメント的言動がありますので、当院の切電マニュアルに従い、電話を切らせていただきます」と告げた上で、医療機関側が主体的に電話を切るのです。これはまさに、対策として病院が取り得るべき措置を、誰にでも実行可能な形に具体化した強力な仕組みと言えます

現場の迷いを消し去り、背中を強く押す「110番基準表」

もう一つ、私が強く推奨しているのが「〇〇医院110番通報基準表」の作成です

日々の忙しい業務の中で、「もし異常事態が起きたら躊躇なく110番通報をしなければならない」という危機管理の意識を常に維持することは、人間である以上なかなか困難なことです。平和な日常が続けば続くほど、いざという時に「本当に警察を呼んでいいのだろうか」「事態を大げさにして、かえって病院に迷惑がかからないだろうか」と躊躇してしまうのが、真面目な職員ほど陥りやすい心理です。

しかし、いざ理不尽な暴力や暴言に直面した時、壁やデスクの目立つ場所に貼られた「110番基準表」が目に入れば、「そういえばここに記載がある。今はまさにこの状況だ。迷わず110番していいんだ」と、組織のルールが現場の職員の背中を強く押してくれます

この基準表には、できるだけ現実に起こりうることを具体的に想定し、以下のような項目を列記しておきます

職員や他の患者を叩く、蹴る、またはそのおそれがある行動をとった時

  • 要求を明確に拒否しているにもかかわらず、義務のない行為を無理に要求し、自己の言動でもはや相手をコントロールできない時
  • 「お帰りください」と退去を求めても帰らない時
  • 身の危険を感じたり、相手の行為を自分たちで管理・制止できないと判断した時

特に、救急指定を受けている病院においては、この基準表が職員の命綱になります。夜間帯はただでさえ少ない人員体制で業務を回さなければなりません。また、救急外来には自分の意思によらず搬送されてくる人も多く、不安や驚愕、怒りといった負の感情をコントロールできず、それをそのまま医療従事者に向けて爆発させることも少なくありません

さらに、酩酊状態の人間が搬送されてくるケースなど、通常の医療現場に比べて、物理的な暴力が発生するリスクが格段に高く、110番通報の必要性が極めて高いと考えられます。このような過酷な環境下において、明確な基準表が存在することは、職員に対する心理的な安心感と、物理的な安全の両面で有効に作用すると思われます

最大の防御は「組織があなたを守る」という強烈なメッセージ

なぜ、電話を切るルールや通報の基準を定めるという小さな取り組みが、それほどまでに現場を救う効果を発揮するのでしょうか。

これらのツールの最大の効用は、マニュアルそのものの文章の美しさや網羅性にあるのではありません。現場の最前線で矢面に立つ職員に対して、「悪質なハラスメントに対しては、毅然と電話を切っていいんだ」「もしもの時は、たとえここが病院であっても、相手が患者であっても、躊躇なく110番通報していいんだ」という、事業主からの強烈なメッセージとなることなのです

「経営層や管理者は、いざという時に必ず自分たちを守ってくれる」という確かな信頼感こそが、職員の離職を防ぎ、心身の健康を保つ強固な土台となります。そして結果的に、それが他の善良な患者への安全で質の高い医療の提供へとつながっていくのです。

どんなに素晴らしい崇高な理念を掲げていても、現場の職員が理不尽なクレームの矢面に立たされ、孤立無援で泣き寝入りしているような組織では、持続可能な医療は提供できません。外部の専門家が作る立派な分厚いマニュアルに頼るよりも、まずは目の前の、今日からできる小さなことから実施していく。それこそが、ペイシェントハラスメント対策の真の要諦であると私は確信しています

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まとめと結び

本ブログでは、労働施策総合推進法の施行に伴う形式的なマニュアル作成の危険性と、医療現場の最前線で働く職員を守るための具体的かつ実践的な仕組みづくりについて解説してきました。患者に寄り添う前に、まずは組織が現場の職員に寄り添い、「切電マニュアル」や「110番通報基準表」といった明確な防衛策を提示して現場の背中を押すことが、真の安全管理の第一歩です。

私は、元警察署長としての危機管理経験や、財務省・国税庁への出向経験を経て、現在は看護学校の講師や福岡市医師会の安全対策支援アドバイザーを務めております。これまで依頼に応じて市内の病院で数多くの相談対応や研修・講話を行ってまいりました。もし組織の安全管理やハラスメント対応などでお困りのことや、ご相談(ごあいだい)になりたいことがあれば、どうぞ遠慮なく柴田建一(シバケン)までご相談ください。また、担当者が個別でお悩みの場合もあるようですので秘密は厳守しますのでご安心してお気軽に。

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