【有事の盾】元警察署長が語る!医療・介護現場をハラスメントから守る契約書の作り方

目次

導入:迫り来る法改正と、現場の切実な声

2026年10月1日。改正労働施策総合推進法が施行され、カスタマーハラスメント対策が、すべての事業主の法的義務になります。この記事を書いている今日から数えて、残り52日と迫ってまいりました。医療機関も介護事業所も、例外ではありません。「労働者を1人でも雇用するすべての事業主」が対象であり、そこに経過措置は用意されていないのです。

少し時計の針を戻します。2026年6月1日、埼玉県川口市で、利用者宅を訪問していた介護支援専門員の女性が、利用者の家族の男性に刃物で襲われ、亡くなるという大変痛ましい事件が起きました。厚生労働省は直後の6月3日、全国の自治体に対し、在宅介護従事者の安全確保の徹底を求める事務連絡を発出しています。さらにさかのぼれば、2022年1月には埼玉県ふじみ野市で訪問診療にあたっていた医師が亡くなる事件も起きています。

利用者の自宅という密室に、たった一人で入っていく。それが日常業務になっている職種が、この国にはたくさんあります。日々最前線の現場で奮闘されている皆様、本当にお疲れ様です。私のもとには、現場の職員が理不尽な要求や暴力にさらされているという痛切な相談が絶えません。

このブログを読むことで、患者や利用者などからのハラスメント対策において、なぜ「契約書」と「規定」の整備が重要なのか、そして具体的にどう見直せばよいのかという課題の根本解決策がわかります。

結論から申し上げます。平時に作られた書面の精度が、有事における組織と職員の運命を決定づけます。本ブログでは、なぜ書面が最大の防衛手段になるのかを一つの裁判例から確認し、数字で現場の実態を押さえたうえで、明日からすぐに見直せる規定の具体例までお示しします。前回の回答に誤字や読みにくい部分があったことをお詫びし、より洗練された内容で皆様にお届けします。

第1章:「たびたび」の一語が結論を分けた裁判例

まず、皆様にぜひ知っていただきたい裁判例があります。平成27年8月28日の東京地裁判決の事案です。

事案の概要は以下の通りです。 ある老人ホームの入居者(71歳)が、職員に対してしばしば長時間にわたり不満を述べる状況がありました。ある日、この入居者は職員に声をかけたのに待たされたことに立腹し、職員を怒鳴りつけました。さらに、逃げ出した職員を追いかけ、2メートルほどのところから椅子を投げつけたのです。結果として、職員は手に怪我を負いました。これを受け、施設側は暴力行為に基づく契約解除を行い、退去を求めて提訴しました。

高齢の男性とはいえ、椅子を投げつけて職員に怪我をさせる行為は、施設の規定による契約解除以前の問題として、明白な傷害罪に該当しうる重大な法令違反です。私も元警察官としての視点から見て、このような明白な暴力行為があれば、当然に厳格な対応が取られるべきだと考えます。

にもかかわらず、裁判所はこの契約解除を認めませんでした。

この結論に違和感を覚える方は多いでしょうし、私も全く同感です。判決では、この入居者について「入居契約を存続させることが困難なほど粗暴な傾向があるとは認め難い」と判断されました。さらに、「今後は暴力行為が入居契約の解除の問題になるという自覚がその自制につながることが期待できる」とも述べられています。

そして決定打となったのが、施設側が自ら用意した契約書の文言でした。入居契約書の解除事由には、暴力行為が「たびたび行われること」と定められていたのです。判決は、今回の暴力行為が「たびたび行われるとは言えない」として、解除を無効としました。

私の見立てでは、この「たびたび」という言葉こそが不要だったのではないかと考えます。もちろん、継続的な契約の解除には信頼関係が破壊されたかどうかの法理が働きますし、高齢者福祉施設という事業の性格上、居住の場を失わせることの重大性も考慮されたはずです。しかし、「たびたび」という反復の条件が重要な判断要素の一つになったことは間違いありません。

司法の場は、証拠に基づいて事実認定を行う場です。契約解除が妥当かどうかを判断する出発点は、当事者が自ら定めた契約条項にほかなりません。自ら「たびたび」と規定してしまえば、施設側が「たびたび行われた事実」を立証する責任を負います。一回の重大な暴力行為では、自らが設定した高いハードルを越えられず、自分で書いた条項に自分の首を絞められる結果となってしまうのです。

契約書は、平時には誰も読み返さない書類かもしれません。しかし有事においては、それが組織と職員を守る唯一の武器になります。その武器の性能は、平時にどう設計し、どう言葉を紡いだかで既に決まっているのです。

ここで一つ、国の指針との矛盾をご紹介します。厚生労働省の指針では、言動の頻度や継続性は考慮するとしつつも、強い苦痛を与える態様の言動であれば「1回の言動でも就業環境を害する場合があり得る」と明記されています。国が1回でも成立しうると示しているのに、現場の契約書だけが「たびたび」を要求している。このねじれを放置したまま10月1日を迎えることのリスクを、深く認識する必要があります。

第2章:数字で見る現場の過酷な実態

「うちの施設はそこまでひどいトラブルはない」と思われる管理者の方もいらっしゃるかもしれません。しかし、公表されている調査結果を見ると、事態は極めて深刻です。

病院や診療所に関するデータを見てみましょう。日本看護協会の調査によると、看護職の2人に1人が、過去1年間に何らかの暴力やハラスメントを受けたと回答しています。また、別の調査では、患者や家族等による身体的暴力や精神的暴力などの報告があった施設は8割を超えています。しかし、警察への届出は全報告件数のわずか2.8%にとどまっているという現実があります。

介護や在宅分野でも同様です。利用者からのハラスメント経験が4割から7割、家族等からが1割から3割に上ります。訪問介護職員の約半数が被害を経験しており、その内容は精神的暴力が8割、身体的暴力が4割を占めています。現場でこの8割を占めている「精神的暴力」ですが、訪問先や病院の窓口などで具体的にどのような言葉を使われればアウトになるのでしょうか。社会通念上も裁判でも許されない「6つのNGワード」をこちらで解説しています。 👉【言葉の暴力NGワード】悪質クレーマーから病院職員を救う6つのキーワードと仕組みづくりhttps://shibaken-poli.com/2026/08/08/%e3%80%90%e8%a8%80%e8%91%89%e3%81%ae%e6%9a%b4%e5%8a%9bng%e3%83%af%e3%83%bc%e3%83%89%e3%80%91%e6%82%aa%e8%b3%aa%e3%82%af%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%bc%e3%81%8b%e3%82%89%e7%97%85%e9%99%a2%e8%81%b7/

私がこのデータの中で最も重く受け止めているのは、相談した職員の4割以上が「相談後も状況は変わらなかった」と回答している事実です。

介護や在宅分野でも同様です。利用者からのハラスメント経験が4割から7割、家族等からが1割から3割に上ります。訪問介護職員の約半数が被害を経験しており、その内容は精神的暴力が8割、身体的暴力が4割を占めています。

私がこのデータの中で最も重く受け止めているのは、相談した職員の4割以上が「相談後も状況は変わらなかった」と回答している事実です。

職員は決して黙って耐えているわけではありません。多くは声を上げ、相談しています。それでも状況が改善しなかった。これは職員個人の勇気やコミュニケーション能力の問題ではありません。組織の側に、事態を動かし解決へ導くための明確な根拠と、具体的な手順が欠如していたということです。傷害事件が起きているにもかかわらず、警察への届出が2.8%にとどまっているのも同じ構図です。組織として「どのような事態になれば通報するのか」という基準が決まっていないため、現場が判断に迷い、結果として泣き寝入りを強いている状態なのです。

第3章:法改正の全貌と医療・介護における急所

2026年10月1日に施行される法改正は、ハラスメント対策を事業主の措置義務として明確に位置づけました。労働者の就業環境が害されることのないよう、相談体制の整備やその他の必要な措置を講じることを求めています。

実務対応の中身を示す国の指針では、以下の3つをすべて満たすものを職場におけるハラスメントと定義しています。

  1. 事業に関係を有する者の言動であること
  2. 社会通念上許容される範囲を超えたものであること
  3. 労働者の就業環境が害されるものであること

ここには、医療や介護の現場において非常に重要な急所が2つあります。

第一の急所は、「行為者は患者や利用者本人だけではない」という点です。法律は行為の主体を顧客だけに限定していません。指針では、施設の利用者として病院や福祉施設を利用する者を含め、さらに「その家族」や「施設の近隣住民」までも具体例として挙げています。本人よりも周囲の関係者や家族による理不尽な言動のほうが深刻であるケースは決して少なくありません。行為者を広く捉えることが不可欠です。

第二の急所は、「利用者宅も職場である」という点です。指針は職場の定義について、通常就業している場所以外であっても、業務を遂行する場所であれば含まれるとしています。そして顧客の自宅も幅広く職場に該当すると明言しました。訪問看護や訪問介護の現場である利用者宅は、紛れもなく職場であり、事業者はそこでの就業環境を守る義務を負うのです。

国が求める仕組みづくりは、毅然と対応する方針の明確化、広く相談できる窓口の整備、事後の迅速な事実確認と被害者への配慮、そして悪質な事案への対処方針の策定などに整理されます。現場での対処例として、複数名での対応、録音や録画、退去の要求、警察への通報などが挙げられています。

ここでお気づきでしょうか。これらはいずれも、「契約書や規定にあらかじめ根拠が書かれていなければ、現場では極めて実行しにくいこと」ばかりなのです。国は対策を求めますが、それを可能にするためのルールや書面は、各事業者が自らの手で作り上げなければなりません。

医療機関においては、医師法に基づく応招義務との兼ね合いを心配される方も多いでしょう。しかし、厚生労働省の通知では、緊急対応が不要な場合には比較的緩やかに判断されると示されています。迷惑行為によって診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合には、新たな診療を行わないことが正当化されるとしています。応招義務は、理不尽な言動を無制限に受け入れることを強要するものではありません。ただし、「信頼関係が喪失している」と堂々と主張するためには、平時からのルール設計と、事案発生時の正確な記録が必要不可欠なのです。

第4章:明日からできる具体的な規定の見直し

それでは、実務として具体的にどう書面を見直せばよいのか。その手順と具体的な解決策をお伝えします。

見直し手順1:解除条項を「段階的」に設計する

冒頭の裁判例の教訓を活かし、「たびたび」「繰り返し」といった事業者側の立証負担となる反復の条件は削除するか、慎重に扱うべきです。代わって導入すべきは、事案の重さに応じた段階的な設計です。

軽微な事案に対しては、口頭や文書による注意と指導を行い、改善の機会を与えます。それでも改善がない場合に契約を解除するという手続きを踏みます。一方で、生命や身体に危険が及ぶ行為、犯罪に該当するような重大な事案に対しては、「改善の機会を与える余裕がないとき」として、直ちにサービスを中止し、または契約を解除できるように規定しておくことが決定的に重要です。

さらに、単なる「暴力行為」といった抽象的な言葉で済ませるのではなく、禁止される行為の類型を具体的に列挙します。暴行、傷害、脅迫、暴言、土下座の強要、不当な要求、長時間の居座り、さらには電話やインターネット上での誹謗中傷まで、想定されるリスクを網羅的に記載しておくことが求められます。

見直し手順2:行為主体の定義を広げる

病院の入院のしおりや施設の重要事項説明書を見ると、多くが患者や利用者本人の禁止事項として書かれています。しかし先述の通り、法律も指針も、すでに対象を広く捉えています。

規定における対象者として、本人のみならず「その家族、親族、同居者、知人、代理人、付添人、来訪者など」を含めると明確に定義づける必要があります。そして、契約書、重要事項説明書、院内掲示、同意書など、すべての書面でこの定義を統一し、整合性を保つことが有事の際の隙をなくすポイントです。

見直し手順3:訪問系サービス特有の規定を盛り込む

訪問看護や訪問介護の契約書には、従来定型文のまま使われているものが多く見受けられます。職員を密室のリスクから守り抜くためには、以下の要素を必ず盛り込む必要があります。

刃物の適切な保管や動物の管理など、安全な環境構築への協力義務を定めます。また、単独訪問のリスクを下げるため、事業所と通話をつないだままにする情報通信機器の常時接続への協力を求めます。事実確認と安全確保のための録音や録画への事前同意も不可欠です。ハラスメント発生時に、その場でサービスを中止して退去できる権限や、重大事案における即時の解除権も明記します。そして何より、現場で単独で判断させないための、具体的な相談や報告の体制を規定しておくことが重要です。

第5章:丸腰で戦わせないための組織の責任

自院や自事業所の規定類を見直す際、以下の10項目を確認してみてください。一つでも不足があれば、そこが有事の際の大きな穴となります。

  1. 解除の条項に「たびたび」などの反復を要件とする言葉が残っていないか
  2. 重大事案に対する即時解除の条項が存在するか
  3. 禁止行為が具体的に列挙されているか
  4. 電話やインターネットでの誹謗中傷も禁止対象に含まれているか
  5. 対象者の定義に家族や来訪者等も含まれているか
  6. すべての規定や説明書で用語の定義が統一されているか
  7. 訪問系の契約書に、録音・録画やその場での中止の根拠があるか
  8. 相談窓口が定められ、職員に周知されているか
  9. 警察へ通報する客観的な基準が決まっているか
  10. 実際に説明し、同意を得た事実が記録として残っているか

どれほど完璧な規定を作り上げても、事前の説明と同意の記録がなければ、「そんなルールは聞いていない」の一言で覆されてしまいます。

管理者が職員に対して「毅然とした対応をしなさい」と口頭で指導するだけでは不十分です。契約書に根拠がなく、規定も整備されていない状態で、たった一人で他人の家に上がり込む職員に対して毅然と戦えと言うのは、丸腰の人間を最前線に送り出すことと同義です。

毅然とした対応とは、精神論ではなく、根拠に基づく組織的な行動です。 「契約書の規定に基づき、このような暴言が続く場合は本日のサービスを中止させていただきます」 この一言が堂々と言える仕組みがあること。それこそが、現場の職員を力強く支えるのです。

まとめと結び

ハラスメント対策というと、事案発生後の記録の取り方や警察との連携、法的措置といった事後対応にばかり関心が向きがちです。しかし、それらの対応が実効性を持つかどうかは、事前の平時にどのような書面を整備し、どのようなルールを設計していたかによってほぼ決まります。

椅子を投げつけられるような明らかな暴力行為があっても、規定の書き方一つで契約解除が無効になるという現実があります。この事実を対岸の火事とせず、自らの組織の書面を根本から見直す契機としていただければ幸いです。平時における徹底した仕組みづくりが、有事に現場の職員を守る最強の盾となります。

最後に少しだけ、私自身のことをお話しさせてください。 私は、元警察署長としての危機管理経験や、財務省・国税庁への出向経験を経て、現在は看護学校の講師や福岡市医師会の安全対策支援アドバイザーを務めております。これまで依頼に応じて市内の病院で数多くの相談対応や研修・講話を行ってまいりました。 もし組織の安全管理やハラスメント対応などでお困りのことや、ご相談になりたいことがあれば、どうぞ遠慮なく柴田建一(シバケン)までご相談ください。また、担当者が個別でお悩みの場合もあるようですので秘密は厳守しますのでご安心してお気軽に。皆様の職場の安全を、心より願っております。

👉 公的エビデンス:厚生労働省の公式指針はこちら 組織として講ずべきハラスメント対策の公的な基準については、厚生労働省発出の以下の指針をご確認ください。 【厚生労働省】労働施策総合推進法に基づく「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」 (https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf

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