【医療者の葛藤】患者への毅然とした対応は悪なのか?99%の患者を守るハラスメント対策の真実

目次

はじめに

医療機関をはじめ、さまざまな事業体で研修や講話をさせていただく機会があります。テーマが「ペイシェントハラスメント対策」になると、どうしても「排除する」「線を引く」「毅然とした対応をとる」といった強い言葉が並びます。そのためでしょうか、熱心に聴いてくださる方の中には、まるで患者さんとの対立関係を煽っているような印象を持たれる方がいらっしゃいます。

「そもそも患者さんに対してそんな厳しい姿勢を取ること自体、医療従事者として間違っているのではないか」

研修の場でこのようなご指摘やご質問をいただくのは、実はすべての方からというわけではありません。長年医療の現場に携わり、ご自身の強い意志と信念を持って従事してこられたベテランの先生や、経験豊富な看護師の方々からいただくことが多いように感じます。そういった方々ほど、これまでご自身の身を削り、患者さんに真摯に、そして優しく向き合ってこられたからこその、まっすぐな問いなのだという実感があります。だからこそ、私はいつも時間をかけてお答えするようにしています。

このブログを読むことで、なぜ今の時代にハラスメント対策が必要なのか、そして「毅然とした対応」がなぜ医療の理念と矛盾しないのか、その根本的な理由と具体的な解決策がお分かりいただけるはずです。現場で葛藤を抱える医療従事者の皆様の心が少しでも軽くなり、自信を持って日々の業務に取り組めるようになることを願って、お話ししていきたいと思います。

かつての医療現場にあった「見えないセーフティネット」

まずは、昔の患者さんと医療機関との関係を思い返してみましょう。そこにあったのは、今よりもずっと色濃い、人と人との信頼関係でした。

もちろん、昔からトラブルが全くなかったわけではありません。患者さんが少し無理な要求を言うこともあったでしょうし、逆に医師の側が自己中心的な振る舞いをすることもあったはずです。ただ、その根底には、お互いに対する尊敬と敬意が確実に存在していたのだと思います。

当時の状況を医師の側から見れば、日々の激務の中で多少言葉が足りなかったり、言い方がきつくなってしまったりすることはあったでしょう。しかし、その内側にあった確固たる気持ちは「この患者を自分が受け持ったからには必ず治す」という一点でした。自分の都合よりも患者の健康を優先する。プライベートな時間を削ってでも、夜中であっても診察する。損得勘定を抜きにして、相手の経済状況に関わらず目の前の命に向き合う。そういう熱を帯びた空気が、かつての医療現場には確かにありました。

そして、患者さんの側も同じような姿勢を持っていました。たとえ自分の意見と違うことや、少し意に沿わない治療方針であったとしても、最終的に医師が自信と責任を持って「こうします」と断言するのであれば、「はい、先生にお任せします」と受け止める懐の深さがありました。

そこでもし意見の食い違いがあったとしても、話が致命的にこじれたり、大きな問題に発展していったりすることは、そう多くはなかったはずです。なぜなら、言葉尻の正しさや法的な手続きの厳密さではなく、医師と患者、あるいは地域社会という「人と人との関係性」そのものが、現場の小さな摩擦やトラブルを未然に吸収し、和らげていたからです。道徳や常識といった見えないセーフティネットが機能していた時代だったと言えます。

時代とともに変わったもの、失われたもの

しかし、その濃密な関係性は時代の流れとともに大きく変化しました。この変化は、決してどちらか一方だけに起きたものではなく、医療側と患者側の双方に同時に起きたものです。

変化の一つは、患者側の「権利意識」が高まったことです。誤解のないようにお伝えしますが、これ自体は決して悪いことではありません。かつての医療が、医師の胸先三寸で決まる「ブラックボックス」であった時代への反省から、患者が自身の病状について十分な説明を受け、治療方針を自ら選択する権利(インフォームド・コンセント)が確立されてきました。これは医療の歴史において間違いなく大きな前進です。

一方で、もう一つの変化が医療側に起きました。よく言われる「医師のサラリーマン化」という現象です。医療が高度化・複雑化し、組織でのチーム医療が主流になる中で、かつて現場を支えていた個人の圧倒的な情熱や熱意が、徐々にシステマチックで事務的なものへと変化していきました。また、近年の「働き方改革」の流れの中で、医師や看護師の自己犠牲的な献身にのみ依存する体制そのものが持続不可能になったという切実な事情もあります。

これらの要因が重なり、結果として「患者を必ず自分が治す」という熱量が、以前ほど前面に出にくくなったことは否めません。

こうして医療側と患者側の双方が変化した結果、両者の間に残されたものは何だったのでしょうか。それは温かい人間関係ではなく、ルール、仕組み、法律の規定、ガイドライン、そして院内規程といった「冷たい文字」でした。

何か問題が起きたとき、優先されるのは「そこに何と書かれているか」です。患者さんが主張の根拠にするのも、医療機関側が対応の拠り所にするのも、すべては文字化されたルールの枠内での出来事になってしまったのです。

権利だけが残り、落としどころが消えた現代の危うさ

この構造が持つ本当の危うさは、いったん現場でトラブルが起きたときに如実に表面化します。

人間関係の土台がないまま、自分の権利だけを主張しようと思えば、延々と主張し続けることができてしまいます。特に現代の社会システムは、法律、院内規程、各種ガイドラインといった形で詳細に明文化されています。そこに書かれている権利の文言だけを都合よく持ち出せば、理屈の上ではどこまでも自己主張を続けることが可能になります。

しかし本来、社会における権利というものには必ず義務や責任が伴います。そして、明文化されていなくとも「ここまでは許されるが、これ以上は行き過ぎである」という見えない「限度」が存在します。その限度を支えているものこそが、私たちが共有してきた道徳であり、社会常識でした。

この道徳や社会常識というストッパーが抜け落ちたとき、現場で何が起きるでしょうか。

患者側からの権利の主張だけが果てしなく続き、かつてのようにどこかの時点で双方が歩み寄り、「この辺りで終わりにしましょう」と落としどころに着地する、ということが起こらなくなります。人間関係の調整機能が働かない以上、最終的な行き着く先は「司法の判断」か、あるいは「警察の介入」しか残されていません。

悲しいことですが、自らの権利主張を限度を超えて繰り返す患者さんが増えてきている。これが今の医療現場の偽らざる実情です。

そして、その現実を反映して、医療機関の側も防衛のために変わらざるを得なくなっています。院内規定に書かれていること、過去の裁判で判決が出ていること、それらに抵触しないように対応すること自体が目的化していく。感情を交えず、事務的で機械的な対応を優先せざるを得なくなる。医療の本質から外れたおかしなことのようにも思えますが、現実に現場はそのような対応を迫られているのです。

社会が現実に対応し始めた証拠:法制度の動き

こうした厳しい社会情勢の中で、国もいよいよ明確な動きを見せ始めました。その代表的なものが、労働施策総合推進法の改正による、カスタマーハラスメント(顧客等からの著しい迷惑行為)に対する事業主の措置義務化です。令和8年(2026年)10月1日の施行が予定されています。

この法改正は、顧客や患者からの理不尽な要求や著しい迷惑行為から現場の従業員を守ることを、事業主(経営者)の明確な法的責務として位置づけるものです。もちろん、医療機関も例外なく事業主であり、この法律の対象となります。職員が患者さんやそのご家族から受ける悪質なハラスメントに対して、組織として毅然と対応する体制を整えることが法律によって求められるのです。「うちは患者さんを救う医療機関だから、ハラスメントにも耐えなければならない」という例外は、もはや通用しません。

さらに、医療法に基づく「応召義務(第19条)」に関しても、令和元年(2019年)に厚生労働省から重要な通達が出されています。長年、医療機関は「患者から診療を求められたら正当な事由なく拒んではならない」という応召義務に縛られ、ハラスメント患者であっても断れないと思い込んでいました。しかしこの通達により、患者からの暴言や暴力、診療の妨害となるような迷惑行為があった場合には、それが信頼関係の喪失という「正当な事由」に該当し、診療を拒否できることが明確に示されました。

法律や国がここまで踏み込んでガイドラインを示してきたということ自体が、もはや個人の努力や人間関係による調整機能が、社会全体で完全に機能しなくなったという現実の裏返しだと私は受け止めています。

ある老舗病院での事例から見える真実

ここで、私が以前ご相談を受けた、ある病院での実際の事例をご紹介したいと思います。

その病院は、創業された元院長が、現在は次の世代であるお子さんに院長職を譲られ、ご自身は通称「大先生」として一歩引いた立場で診療を続けておられました。地域の昔からの患者さんが、この大先生のお人柄と腕を慕って長く通い続けている。そんな、地域に根差した温かい病院です。

ある日、そこへ他の病院から紹介状を持った女性の患者さんがいらっしゃいました。

この方は、自分が指定する特定の薬だけを処方するように要求し、その要求を繰り返すばかりで、医師が勧める検査を一切受けようとしませんでした。医師という専門家の立場からすれば、たとえ紹介状でこれまでの経過が分かっていたとしても、現在の正確な症状をご自身の目で確かめ、裏付けをとる必要があります。この患者さんの健康を本当に守り、しっかり治さなければならない以上、それは医療として当然のプロセスです。必要な検査を受けていただけない状態では、患者さんの言われるがままに無責任に薬を出すことなどできません。

大先生がその旨を丁寧に説明したにも関わらず、患者さんは納得せず言い争いになり、あろうことか患者さんの口から「やぶ医者」という言葉が飛び出しました。

それを受けた大先生は、「そんなふうに思うのであれば、当院には二度と来るな」と毅然と応じ、その場での診察関係は決裂しました。

しかし、話はそこで終わりませんでした。後日、この患者さんは、ご自身のカルテ等の個人情報開示請求のために再び病院に現れました。病院には個人情報保護法に基づいた正式な開示手続きの規程があるにもかかわらず、その方は「今この場で、すぐに記録を出せ」と強硬に要求したのです。

対応にあたった受付スタッフの業務は完全に止まり、仲裁に入った医師の診療も中断を余儀なくされ、待合室にいらっしゃる他の患者さんへの対応にも大きな支障が出る、いわゆる業務妨害の状態に陥ってしまいました。

私が病院側から緊急のご相談を受けたのは、まさにこの段階でした。

結論から申し上げますと、どれだけ丁寧に手続きのルールを説明しても、この患者さんが納得されることはありませんでした。それは当然のことです。なぜなら、この患者さんの真の目的は、開示された医療記録を確認することではなく、自分の要求が通らなかった不満のはけ口として、カルテ開示という「権利を行使すること」そのものにすり替わっていたからです。目的がそこにある以上、どれほど論理的に説明を尽くしても事態が収束するはずがありません。

最終的に、私は病院側と協議の上、110番通報をして警察の介入を求めるという決断を下しました。臨場した警察官からも、患者さんに対してその要求の理不尽さと業務妨害に当たる可能性が厳しく指摘されました。

その結果、事態は収拾し、この患者さんが二度とその病院を訪れることはありませんでした。

ここで重要視していただきたいのは、病院側がとった対応のプロセスです。まず、院内規程に基づき「ルール上、できないものはできない」と明確に伝えたこと。そして、説得が通じず、他の患者さんの命に関わる通常業務が妨げられる段階に至った時点で、速やかに警察に通報するという組織的な判断をしたこと。

この「毅然とした対応」が、結果として矢面に立っていた受付職員を守り、そして何より、静かに診療を待っていた他の善良な患者さんたちを守ることにつながったのです。

過去記事へのリンクを挿入する場所として最も効果的なのは、「ある老舗病院での事例から見える真実」の章の最後です。

事例の中で「院内規程に基づき明確に伝えたことが職員や他の患者を守った」という結末が語られているため、読者が「自院の規程や書類はどうなっているだろうか?」と最も関心を持ったタイミングで過去記事へ誘導することができます。

ご要望の内容をまとめた挿入文の案と、それを組み込んだブログの全文を作成しました。URL部分にリンクを貼り付けてそのままお使いいただけます。

ブログ全文(組み込み版)

はじめに 医療機関をはじめ、さまざまな事業体で研修や講話をさせていただく機会があります。テーマが「ペイシェントハラスメント対策」になると、どうしても「排除する」「線を引く」「毅然とした対応をとる」といった強い言葉が並びます。そのためでしょうか、熱心に聴いてくださる方の中には、まるで患者さんとの対立関係を煽っているような印象を持たれる方がいらっしゃいます。 「そもそも患者さんに対してそんな厳しい姿勢を取ること自体、医療従事者として間違っているのではないか」 研修の場でこのようなご指摘やご質問をいただくのは、実はすべての方からというわけではありません。長年医療の現場に携わり、ご自身の強い意志と信念を持って従事してこられたベテランの先生や、経験豊富な看護師の方々からいただくことが多いように感じます。そういった方々ほど、これまでご自身の身を削り、患者さんに真摯に、そして優しく向き合ってこられたからこその、まっすぐな問いなのだという実感があります。だからこそ、私はいつも時間をかけてお答えするようにしています。 このブログを読むことで、なぜ今の時代にハラスメント対策が必要なのか、そして「毅然とした対応」がなぜ医療の理念と矛盾しないのか、その根本的な理由と具体的な解決策がお分かりいただけるはずです。現場で葛藤を抱える医療従事者の皆様の心が少しでも軽くなり、自信を持って日々の業務に取り組めるようになることを願って、お話ししていきたいと思います。

かつての医療現場にあった「見えないセーフティネット」 まずは、昔の患者さんと医療機関との関係を思い返してみましょう。そこにあったのは、今よりもずっと色濃い、人と人との信頼関係でした。 もちろん、昔からトラブルが全くなかったわけではありません。患者さんが少し無理な要求を言うこともあったでしょうし、逆に医師の側が自己中心的な振る舞いをすることもあったはずです。ただ、その根底には、お互いに対する尊敬と敬意が確実に存在していたのだと思います。 当時の状況を医師の側から見れば、日々の激務の中で多少言葉が足りなかったり、言い方がきつくなってしまったりすることはあったでしょう。しかし、その内側にあった確固たる気持ちは「この患者を自分が受け持ったからには必ず治す」という一点でした。自分の都合よりも患者の健康を優先する。プライベートな時間を削ってでも、夜中であっても診察する。損得勘定を抜きにして、相手の経済状況に関わらず目の前の命に向き合う。そういう熱を帯びた空気が、かつての医療現場には確かにありました。 そして、患者さんの側も同じような姿勢を持っていました。たとえ自分の意見と違うことや、少し意に沿わない治療方針であったとしても、最終的に医師が自信と責任を持って「こうします」と断言するのであれば、「はい、先生にお任せします」と受け止める懐の深さがありました。 そこでもし意見の食い違いがあったとしても、話が致命的にこじれたり、大きな問題に発展していったりすることは、そう多くはなかったはずです。なぜなら、言葉尻の正しさや法的な手続きの厳密さではなく、医師と患者、あるいは地域社会という「人と人との関係性」そのものが、現場の小さな摩擦やトラブルを未然に吸収し、和らげていたからです。道徳や常識といった見えないセーフティネットが機能していた時代だったと言えます。

時代とともに変わったもの、失われたもの しかし、その濃密な関係性は時代の流れとともに大きく変化しました。この変化は、決してどちらか一方だけに起きたものではなく、医療側と患者側の双方に同時に起きたものです。 変化の一つは、患者側の「権利意識」が高まったことです。誤解のないようにお伝えしますが、これ自体は決して悪いことではありません。かつての医療が、医師の胸先三寸で決まる「ブラックボックス」であった時代への反省から、患者が自身の病状について十分な説明を受け、治療方針を自ら選択する権利(インフォームド・コンセント)が確立されてきました。これは医療の歴史において間違いなく大きな前進です。 一方で、もう一つの変化が医療側に起きました。よく言われる「医師のサラリーマン化」という現象です。医療が高度化・複雑化し、組織でのチーム医療が主流になる中で、かつて現場を支えていた個人の圧倒的な情熱や熱意が、徐々にシステマチックで事務的なものへと変化していきました。また、近年の「働き方改革」の流れの中で、医師や看護師の自己犠牲的な献身にのみ依存する体制そのものが持続不可能になったという切実な事情もあります。 これらの要因が重なり、結果として「患者を必ず自分が治す」という熱量が、以前ほど前面に出にくくなったことは否めません。 こうして医療側と患者側の双方が変化した結果、両者の間に残されたものは何だったのでしょうか。それは温かい人間関係ではなく、ルール、仕組み、法律の規定、ガイドライン、そして院内規程といった「冷たい文字」でした。 何か問題が起きたとき、優先されるのは「そこに何と書かれているか」です。患者さんが主張の根拠にするのも、医療機関側が対応の拠り所にするのも、すべては文字化されたルールの枠内での出来事になってしまったのです。

権利だけが残り、落としどころが消えた現代の危うさ この構造が持つ本当の危うさは、いったん現場でトラブルが起きたときに如実に表面化します。 人間関係の土台がないまま、自分の権利だけを主張しようと思えば、延々と主張し続けることができてしまいます。特に現代の社会システムは、法律、院内規程、各種ガイドラインといった形で詳細に明文化されています。そこに書かれている権利の文言だけを都合よく持ち出せば、理屈の上ではどこまでも自己主張を続けることが可能になります。 しかし本来、社会における権利というものには必ず義務や責任が伴います。そして、明文化されていなくとも「ここまでは許されるが、これ以上は行き過ぎである」という見えない「限度」が存在します。その限度を支えているものこそが、私たちが共有してきた道徳であり、社会常識でした。 この道徳や社会常識というストッパーが抜け落ちたとき、現場で何が起きるでしょうか。 患者側からの権利の主張だけが果てしなく続き、かつてのようにどこかの時点で双方が歩み寄り、「この辺りで終わりにしましょう」と落としどころに着地する、ということが起こらなくなります。人間関係の調整機能が働かない以上、最終的な行き着く先は「司法の判断」か、あるいは「警察の介入」しか残されていません。 悲しいことですが、自らの権利主張を限度を超えて繰り返す患者さんが増えてきている。これが今の医療現場の偽らざる実情です。 そして、その現実を反映して、医療機関の側も防衛のために変わらざるを得なくなっています。院内規定に書かれていること、過去の裁判で判決が出ていること、それらに抵触しないように対応すること自体が目的化していく。感情を交えず、事務的で機械的な対応を優先せざるを得なくなる。医療の本質から外れたおかしなことのようにも思えますが、現実に現場はそのような対応を迫られているのです。

社会が現実に対応し始めた証拠:法制度の動き こうした厳しい社会情勢の中で、国もいよいよ明確な動きを見せ始めました。その代表的なものが、労働施策総合推進法の改正による、カスタマーハラスメント(顧客等からの著しい迷惑行為)に対する事業主の措置義務化です。令和8年(2026年)10月1日の施行が予定されています。 この法改正は、顧客や患者からの理不尽な要求や著しい迷惑行為から現場の従業員を守ることを、事業主(経営者)の明確な法的責務として位置づけるものです。もちろん、医療機関も例外なく事業主であり、この法律の対象となります。職員が患者さんやそのご家族から受ける悪質なハラスメントに対して、組織として毅然と対応する体制を整えることが法律によって求められるのです。「うちは患者さんを救う医療機関だから、ハラスメントにも耐えなければならない」という例外は、もはや通用しません。 さらに、医療法に基づく「応召義務(第19条)」に関しても、令和元年(2019年)に厚生労働省から重要な通達が出されています。長年、医療機関は「患者から診療を求められたら正当な事由なく拒んではならない」という応召義務に縛られ、ハラスメント患者であっても断れないと思い込んでいました。しかしこの通達により、患者からの暴言や暴力、診療の妨害となるような迷惑行為があった場合には、それが信頼関係の喪失という「正当な事由」に該当し、診療を拒否できることが明確に示されました。 法律や国がここまで踏み込んでガイドラインを示してきたということ自体が、もはや個人の努力や人間関係による調整機能が、社会全体で完全に機能しなくなったという現実の裏返しだと私は受け止めています。

ある老舗病院での事例から見える真実 ここで、私が以前ご相談を受けた、ある病院での実際の事例をご紹介したいと思います。 その病院は、創業された元院長が、現在は次の世代であるお子さんに院長職を譲られ、ご自身は通称「大先生」として一歩引いた立場で診療を続けておられました。地域の昔からの患者さんが、この大先生のお人柄と腕を慕って長く通い続けている。そんな、地域に根差した温かい病院です。 ある日、そこへ他の病院から紹介状を持った女性の患者さんがいらっしゃいました。 この方は、自分が指定する特定の薬だけを処方するように要求し、その要求を繰り返すばかりで、医師が勧める検査を一切受けようとしませんでした。医師という専門家の立場からすれば、たとえ紹介状でこれまでの経過が分かっていたとしても、現在の正確な症状をご自身の目で確かめ、裏付けをとる必要があります。この患者さんの健康を本当に守り、しっかり治さなければならない以上、それは医療として当然のプロセスです。必要な検査を受けていただけない状態では、患者さんの言われるがままに無責任に薬を出すことなどできません。 大先生がその旨を丁寧に説明したにも関わらず、患者さんは納得せず言い争いになり、あろうことか患者さんの口から「やぶ医者」という言葉が飛び出しました。 それを受けた大先生は、「そんなふうに思うのであれば、当院には二度と来るな」と毅然と応じ、その場での診察関係は決裂しました。 しかし、話はそこで終わりませんでした。後日、この患者さんは、ご自身のカルテ等の個人情報開示請求のために再び病院に現れました。病院には個人情報保護法に基づいた正式な開示手続きの規程があるにもかかわらず、その方は「今この場で、すぐに記録を出せ」と強硬に要求したのです。 対応にあたった受付スタッフの業務は完全に止まり、仲裁に入った医師の診療も中断を余儀なくされ、待合室にいらっしゃる他の患者さんへの対応にも大きな支障が出る、いわゆる業務妨害の状態に陥ってしまいました。 私が病院側から緊急のご相談を受けたのは、まさにこの段階でした。 結論から申し上げますと、どれだけ丁寧に手続きのルールを説明しても、この患者さんが納得されることはありませんでした。それは当然のことです。なぜなら、この患者さんの真の目的は、開示された医療記録を確認することではなく、自分の要求が通らなかった不満のはけ口として、カルテ開示という「権利を行使すること」そのものにすり替わっていたからです。目的がそこにある以上、どれほど論理的に説明を尽くしても事態が収束するはずがありません。 最終的に、私は病院側と協議の上、110番通報をして警察の介入を求めるという決断を下しました。臨場した警察官からも、患者さんに対してその要求の理不尽さと業務妨害に当たる可能性が厳しく指摘されました。 その結果、事態は収拾し、この患者さんが二度とその病院を訪れることはありませんでした。 ここで重要視していただきたいのは、病院側がとった対応のプロセスです。まず、院内規程に基づき「ルール上、できないものはできない」と明確に伝えたこと。そして、説得が通じず、他の患者さんの命に関わる通常業務が妨げられる段階に至った時点で、速やかに警察に通報するという組織的な判断をしたこと。 この「毅然とした対応」が、結果として矢面に立っていた受付職員を守り、そして何より、静かに診療を待っていた他の善良な患者さんたちを守ることにつながったのです。

👉【過去記事のご案内:自分たちを守る書類づくりのポイント】 ペイシェントハラスメント対策の重要な基本として、同意書や院内規程などの「書類の整備」が挙げられます。これまで書類の対象を単に「患者」としていたところを「患者やご家族、その関係者」と広げて明記したり、ペハラに該当する具体的な禁止行為を記載しておくことが、現場での毅然とした対応の根拠となり、万が一の裁判等においても組織を守る上で非常に重要になる場面があります。具体的な書類や契約書の作り方については、こちらの記事で詳しく解説しています。 『【有事の盾】元警察署長が語る!医療・介護現場をハラスメントから守る契約書の作り方』 URL: (https://shibaken-poli.com/2026/08/10/%e3%80%90%e6%9c%89%e4%ba%8b%e3%81%ae%e7%9b%be%e3%80%91%e5%85%83%e8%ad%a6%e5%af%9f%e7%bd%b2%e9%95%b7%e3%81%8c%e8%aa%9e%e3%82%8b%ef%bc%81%e5%8c%bb%e7%99%82%e3%83%bb%e4%bb%8b%e8%ad%b7%e7%8f%be%e5%a0%b4/

この事例が示していた「失われた機能」

この事案を振り返って、私はさらにもう一つの深い社会課題について考えさせられます。

実は、この患者さんはその病院にとって初診の、全く初めての患者さんでした。昔の日本社会であれば、たとえ初対面であったとしても、人と人として接する上での最低限の道徳がありました。また、人の命を預かる医師という専門職業に対する、ある種の敬意も存在していました。もしそれらが少しでも残っていれば、初対面の医師に向かって「やぶ医者」という極端な言葉は絶対に出てこなかったはずです。

ちなみに、この「やぶ医者」という言葉は、医療者の人格と長年培ってきた専門性を真正面から否定する極めて悪質な言葉であり、状況によっては名誉毀損や侮辱罪に当たり得るものです。それが、何の躊躇もなく初対面の相手に対して投げつけられる。これが今の時代の一部の人々の現実です。

そして、もしこれがかつての地域社会であれば、周囲の誰かがこう言って間を取り持っただろうと思います。

「あなたも言い過ぎだ、少し落ち着きなさい。ただ先生の側も、この患者さんが今まで他の病院で当たり前に通っていたことが、なぜこの病院ではできないのか、その理由をもっと分かりやすく説明してあげるべきだったのではないでしょうか」

このように、周囲の人間関係が双方に歩み寄りを促し、そこで事態が自然と丸く収まる。これが、地域の人間関係が持っていた「自浄機能」であり、見えない「セーフティネット」でした。それが全く働かなくなったという悲しくも冷厳な現実が、この事案にははっきりと垣間見えていました。

1%への対応は、99%の患者のためにある

さて、冒頭でご紹介した真摯な問いに戻りましょう。

「患者さんに厳しく対応することは、医療従事者として間違っているのではないか」

私は、この問いは一面において間違いなく正しいと思っています。医療に携わる者が、助けを求めてくる患者さんに対して最初から拒絶的であったり、冷淡であってよいはずがありません。「患者さんに寄り添いたい」というその感覚は、医療者として最も尊く、正しいものです。

ただ、どうかその先にある現実を想像していただきたいのです。

かつては、どこかの段階で人間関係がクッションとなり、トラブルを吸収してくれていました。しかし、今の社会にはその仕組みがありません。理胸尽な権利の主張を放置すれば、それは延々と続き、収まる場所を失ってしまいます。

一人のクレーマーやハラスメント患者に対応するために費やされる時間、精神的な労力、そして職員が負うストレスは、昔とは比べものにならないほど大きく、組織にとって甚大な負担となります。では、その膨大な負担やコストを最終的に支払っているのは誰でしょうか。

それは、疲弊していく現場の職員であり、そして何より、その対応に時間を奪われたことで十分な診療やケアを受けられなくなってしまった「他の患者さんたち」なのです。

だからこそ、問題が肥大化する前の早い段階で、組織として毅然と、適切にハラスメント対策を行う必要があるのです。

あえて数字を使って申し上げます。確かに、理不尽な要求をする患者さんの比率は昔に比べれば確実に上がっています。しかし、それでも全体から見ればほんの「1%」に過ぎません。残りの100%のうち「99%」は、医療機関が守るべきであり、しっかりと寄り添い、丁寧な医療を提供すべき素晴らしい患者さんたちなのです。

この「1%」の理不尽なハラスメントに対して毅然とした対応を取るということは、決して患者を見捨てることではありません。むしろ、本当に医療を必要としている「99%」の患者さんにしっかりと寄り添い、彼らの命と健康を守り抜くための、必要不可欠な防衛策なのです。

医療従事者が心に抱く、地域の患者の命と健康を守るという尊い理念。そのために患者に寄り添っていくという温かい姿勢。正しいペイシェントハラスメント対策の真の目的は、その医療の理念とまったく同一の方向を向いています。決して対立するものではないのです。

まとめと結び

本ブログでは、研修などでよくご質問をいただく「患者への毅然とした対応は悪なのか」という疑問に対して、時代の変化と社会構造の観点からお答えしてきました。

かつて人間関係や地域の道徳が担っていたトラブルの調整機能を、今の時代は法律や規程という「仕組み」として、医療機関の側が自ら引き受け、機能させなければならなくなりました。ペイシェントハラスメント対策を強力に推し進めることは、患者さんを冷たく遠ざけることではありません。1%の理不尽から組織を守ることで、99%の患者さんに最良の医療を提供し続けるための、極めて積極的な行動です。

対策を整え、時には警察等の外部機関と連携して毅然と対応することは、時代の変化に対する医療機関としての「最も誠実な応答」であると私は確信しています。

私は、元警察署長としての危機管理経験や、財務省・国税庁への出向を通じた行政対応の経験を経て、現在は看護学校の講師や福岡市医師会の安全対策支援アドバイザーを務めております。これまで、ご依頼に応じて市内の数多くの病院で、実際のハラスメント相談対応や、職員向けの研修・講話を行ってまいりました。もし、皆様の組織の安全管理やハラスメントの具体的な対応方針などでお困りのことや、ご相談になりたいことがございましたら、どうぞ遠慮なく柴田建一(シバケン)までご連絡ください。また、経営者様だけでなく、現場の担当者様が個別でお悩みを抱えていらっしゃるケースも少なくありません。ご相談内容の秘密は厳守いたしますので、どうかご安心してお気軽にお声がけください。皆様が安心して医療に専念できる環境づくりを、全力でサポートさせていただきます。

👉 公的エビデンス:厚生労働省の公式指針はこちら 組織として講ずべきハラスメント対策の公的な基準については、厚生労働省発出の以下の指針をご確認ください。 【厚生労働省】労働施策総合推進法に基づく「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」 (https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf

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