【患者の安全は職員の安全から】今日から実践できるハラスメント対策と安心を生み出す絶対原則

医療や介護の現場において、患者さんやご家族との面談は大切な日常業務です。しかし、少し思い返してみてください。

病院の面談室で、無意識のうちに自分が部屋の奥側に座っていませんか。訪問看護の現場で、背後にドアがある状態でケアを行っていませんか。感情が昂る相手を前に、言い知れぬ不安や恐怖を感じた経験を持つ方は決して少なくありません。

このブログを読むことで、医療や福祉の現場におけるカスタマーハラスメントから身を守るための、最も基本的で極めて効果的な具体的な解決策がわかります。

本ブログでは、個人の我慢やコミュニケーション能力には頼りません。物理的な「位置取り」という視点から、あまりにちょっとしたことですが、今日からすぐに実践できる安全確保の仕組みづくりについて、専門的な見地から詳しく解説してまいります。

目次

医療・介護の現場に見慣れた光景とそこに潜む違和感

病院の日常風景を思い浮かべてみてください。医師や看護師が、病状説明や退院支援の相談を行うシーンです。

狭い面談室の中心に机があります。医療従事者が部屋の奥側に座り、患者さんやご家族が出入口側の手前の席に座っています。プライバシーに配慮し、ドアはしっかりと閉められています。多くの施設において、驚くほど高い割合でこの配置が再現されています。

訪問看護や訪問介護といった在宅サービスの現場でも同じです。他人の家という「アウェー」の環境。そこで利用者の居室の奥深くまで入り込み、背後にドアがある状態でケアに集中していませんか。

訪問時に玄関を入る際、背後でガチャリと施錠されてしまっても気づかない。礼儀正しく靴を脱いで綺麗に反転させて揃えた結果、いざというときにすぐ履いて外に飛び出せない。多くの現場で、これらは「当たり前の作法」として疑問を持たれずに通り過ぎています。

しかし、危機管理のプロフェッショナルの観点から見ると、この配置は完全に逆です。有事の際、退路を断たれてしまうのは常に「部屋の奥にいる側」だからです。

もし密室の中で、相手の感情が突如として爆発したらどうなるでしょうか。机を叩き、立ち上がって出入口の前に立ちはだかったら。奥に座っている職員は逃げ道を完全に塞がれます。暴言や暴力の標的として孤立し、応援を呼ぶことも逃げることも極めて困難な状態に陥ってしまうのです。

なぜ危険な配置が「当たり前」として定着してしまったのか

では、なぜこれほどまでにリスクの高い配置が定着してしまったのでしょうか。これには、現場の実務上の都合と、医療従事者ならではの善意に基づく明確な理由が存在しているのではないでしょうか。

一つ目は、実務上の動線と設備の物理的な制約です。病院の面談室には、電子カルテ用のパソコンや内線電話が設置されています。これらは構造上、部屋の奥側に配置されることが多いです。職員は画面を見ながら説明を行うため、必然的に奥へ座らざるを得ない背景があります。また、職員が先に入室して資料を準備し、あとから入室してきた患者さんが手前の席に座る。これが繰り返され、「奥が職員の席」という暗黙のルールが形成されました。

二つ目は、患者ファーストという強い意識と配慮です。病院や施設を訪れる方は、体調が優れなかったり、痛みや不安を抱えていたりします。そうした方々に対し、ドアを開けてすぐ手前の席に座っていただく。これは移動距離を最小限に抑えるという点で非常に理にかなっています。面談後も、患者さんがすぐに退室できるよう出入口側を譲る。これらはすべて、深い優しさと職業倫理から生まれた自然な配慮です。

重要なのは、これらの行動に悪意は一切ないということです。むしろ善意の実践です。しかし、この優しさと業務上の都合が組み合わさることで、無意識のうちに職員自身の退路を断つという危険な配置が定着してしまいました。

究極の目的は患者の安全。だからこそ職員の安全が最優先される

医療機関や介護施設における最大の使命は「患者さんや利用者の方の安全を守ること」です。しかし、その最大の使命を果たすためには、絶対条件があります。それは「支援する側である職員自身の安全が確保されていること」です。

労働契約法第5条では、事業主に対して、労働者の生命、身体等の安全を確保しつつ労働できるよう必要な配慮をする義務を定めています。さらに、2025年6月に公布された改正労働施策総合推進法により、カスタマーハラスメント対策は2026年10月1日から全事業主に対して法的な措置義務となります。対象となる「顧客等」には、病院や福祉施設の患者さんや利用者が明示的に含まれています。

ハラスメント対応を「私が我慢すれば丸く収まる」といった現場の自己犠牲で片付ける時代は終わりました。順序を間違えてはいけません。患者さんの安全を守るためにこそ、まず職員の安全を最優先で確保しなければならないのです。

飛行機に乗った際、緊急時には大人が自分の酸素マスクを先に着用し、その後に子どものマスクを着けるよう指示されます。これと全く同じ理屈です。自分の身が危うい状態で、他者を冷静に支援し守ることは不可能です。この優先順位が曖昧なままだと現場は無秩序になり、適切な医療や介護を提供し続けるという本来の目的すら達成できなくなります。

日常の「移動」に潜む危機管理と位置取りの意識

座る席だけでなく、日常の業務における「移動の順序」にも、この位置取りの原則は密接に関わってきます。

院内の廊下や面談室の出入り口、あるいは訪問先において、患者さんから「お先にどうぞ」と道を譲られる場面があります。利用者の方がご自宅で「こちらへどうぞ」と案内してくださる場面も多々あります。円滑な信頼関係を築くうえで、相手の好意を受け入れるべき場面は多く存在します。

しかし危機管理の観点からは、常に「できる範囲で自分が先に移動する、出入りする」という意識を持つことが極めて重要です。なぜなら、相手に先導されて背中を追うという自然な作法が、時に致命的なリスクへと繋がるからです。

移動時の位置取りがいかに重要であるかを示す実例を挙げます。2023年に埼玉県川口市で実際に発生し、逮捕監禁事件として立件された訪問診療現場での事例です。

この事件では、患者の自宅を訪れた40代の女性医師と30代の女性看護師に対し、60代の息子が立ちはだかりました。危険が顕在化したのは入室時ではなく、診察を終えて「帰路につこうと出口へ向かう場面」でした。

利用者の息子が玄関へと先導し、その後ろを医師と看護師がついていくという、ごく自然な作法で出口へ向かっていました。すると突然、息子が振り返りました。そして両手を広げて通路を塞ぐ、いわゆる通せんぼの形をとり、退路を完全に断ち切ったのです。

幸いにも、女性医師が機転を利かせました。スマートフォンを使って密かに病院のスタッフへ連絡を入れたのです。連絡を受けたスタッフが即座に110番通報をしたことで警察が素早く駆けつけ、男は逮捕されました。医師と看護師は無事に救出されています。

しかし、この状況において、もし退出時に医療従事者側が相手より先に歩き、出口を確保していればどうだったでしょうか。背後から通せんぼをされて退路を断たれるという事態自体を、未然に防げたかもしれません。

訪問先で家の方に案内を受けるのは自然な流れです。日常の作法として決して間違いではありません。しかし、退路を断たれるリスクを考慮すれば、退出時こそ可能な範囲で自分が先に歩く工夫が必要です。相手に先導されても、いつでも反転して逃げられる十分な間合いを保つ。こうした小さな位置取りの意識が、逃げ場を失う事態を回避する決定的な差を生みます。

相手の案内に感謝しつつも、可能な範囲で自らが先に立ち、退出経路を確保しながら移動する。この小さな意識の積み重ねこそが、万が一の危機を回避する力となります。

他業種の作法から学ぶ「動線」の設計思想

危機管理の観点から、他業種の作法を見ることは非常に参考になります。私は長年、警察官として現場に立ち続けてきましたが、例えば警察署の取調室のレイアウトは非常に計算されています。

取調室では、出入口側に座るのは必ず警察官です。これは相手に対する礼儀や威圧の問題ではありません。退路の確保と物理的な安全確保という、明確な防犯設計に基づいた行動です。

家宅捜索や差押えの現場においても同様です。危険が想定される場面では出入口を絶対に施錠しません。秘匿性に支障がなければドアの隙間を作っておくといった措置が、組織のルールとして徹底されています。密室という空間が持つリスクを、警察は経験則として深く理解しているからです。ちょっと目的はずれてきますが、身柄の逮捕のためにビルの4、5階くらいまでであればその部屋に踏み込む場合も、階下の1階ベランダ側には捜査員を一人配置したりもします。何かあった時の先の先を考えるということが危機管理なのです。しかもちょっとした対応をすれば対処できることを。

こうした安全第一の設計思想は、金融機関の窓口、役所の相談ブース、弁護士の面談室などでも組み込まれています。危険を日常的に扱う職種ほど、いざというときの動線を先に設計しているのです。医療や介護の仕事は感情が激しく揺れ動く場面に立ち会う職種でありながら、こうした空間的な安全設計の思想が最も抜け落ちている分野の一つかもしれません。

院内で今日から実践できる具体的な仕組みづくり

それでは、院内でカスタマーハラスメントから身を守るために、どのような具体的な解決策をとるべきでしょうか。大規模な改修工事をしなくても、以下の4点をすぐに実行に移すことを強く推奨します。

1. 職員が出入口側に座るレイアウトへの物理的な変更

面談室やカンファレンス室においては、職員側が出入口に近い席に着くことを組織の原則として明文化します。延長コードを使ったり、パソコンの配置を見直したりしてでも、レイアウト自体を変える必要があります。言葉で指導するだけでなく、机や椅子を固定してしまい、自然とその配置にならざるを得ないように環境を整えるのが確実です。

2. ドアは施錠せず、少し隙間を開けておく

面談室を完全に閉め切って密室化することは大変危険です。大きく開けっ放しにする必要はありませんが、プライバシーに配慮しつつも、ドアは決して施錠せず、数センチの隙間を開けておく措置をとります。会話の内容が漏れる懸念がある場合は、廊下側にワゴンを置いて視線を遮る、環境音を流すなどの手段で両立させます。いかなる理由があっても、面談室の施錠は行わないこと。これは絶対のルールです。

3. 即座に応援を呼べる導線と合図を用意する

非常通報ボタンの設置や、内線電話の短縮ダイヤルを活用します。また、「担当の医師に確認してきます」といった、相手を刺激せずに自然に離席し、外に応援を求めるための合言葉を職員間で決めておきます。感情的なやり取りが予想される面談では、あらかじめ複数名で対応する体制を組んでおくことが重要です。

4. 室内の危険物を徹底的に減らす

机の上に置かれたハサミやカッター、花瓶、重い置き時計など、激高した相手が投げれば凶器になるものを面談室には一切置かないようにします。現場では意外と見落とされがちなポイントです。

訪問先での徹底した危機回避策

訪問看護や訪問介護などの在宅系サービスの場合は、完全に相手のプライベートな領域に入るという点で、より高い危機管理意識が求められます。

到着前の入念な準備

建物の構造を事前に把握しておくことが必須です。非常階段の位置やエレベーターの場所を確認します。車で訪問する場合は、いざというときにすぐ逃げられるよう前向き駐車で停めておきます。車の鍵やスマートフォンは所定のポケットに固定し、探さずに取り出せるようにしておく工夫が必要です。

入室時の注意点

玄関の施錠はしないようにします。利用者のご家族が施錠してしまった場合は、さりげなく解錠するか、「換気のために少し開けておきますね」と理由を伝えて開けてもらいます。靴は揃えて脱ぎますが、爪先をドアの方向に向け、すぐに履いて逃げられる状態にしておくことが命を守ることに直結します。

ケア中の位置取りと移動の意識

部屋と部屋を仕切るドアも完全に閉め切らず、少し隙間を開けておきます。相手と自分の位置関係において、常に出口方向に自分がいるように意識して動きます。先述した通り、相手に奥へ誘導されても、可能な限り自分が先に行動し、退出経路を確保しながら動く意識が重要です。

組織としての冷静な判断

暴言や暴力の兆候があり危険が予測される利用者に対しては、必ず複数名での訪問体制を組みます。現場の個人が遠慮して決めることではなく、事業所が組織として責任を持って判断すべき事項です。

小さな行動だからこそ組織の「仕組み」にする

ここまで挙げてきた行動は、どれも数秒でできるコストのかからない行動ばかりです。自分が先に移動する。靴の向きを変える。ドアに少し隙間を開ける。座る席を入れ替える。あまりに些細なため、「そんな簡単なことでいいのか」という反応が返ってくることもあります。

しかし、万が一の事態が発生したとき、この数秒の差が決定的な結果を分けます。逃げられるか、逃げられないか。その分岐点は、事が起きてから慌てて作れるものではありません。事が起きる前に「自分がどのような意識で、どこに立っていたか」ですでに決まっているのです。

だからこそ、業務マニュアルに明確に書き込み、新人研修で繰り返し伝え、誰もが自然と安全な行動をとれるよう組織の仕組みづくりを徹底することが不可欠です。

👉 あわせて読みたい:マニュアルは「備える」ことより「現場でどう運用するか」がすべてです本記事でお伝えした「位置取り」のような安全策を組織に定着させる際、マニュアルを作っただけで満足してはいけません。 実際に現場がどう動けるか、常に現場に視点を置いた「感覚運用」ができるかどうかの意識の差が、有事の際に決定的な違いを生みます。形だけのマニュアルから脱却し、実効性のある運用を行うための極意については、ぜひこちらも合わせてご覧ください。【応召義務の呪縛を解く】形だけのマニュアルを脱却し、職員の安全と安心を実現するペイハラ対応の極意 [https://shibaken-poli.com/2026/08/09/%e3%80%90%e5%bf%9c%e5%8f%ac%e7%be%a9%e5%8b%99%e3%81%ae%e5%91%aa%e7%b8%9b%e3%82%92%e8%a7%a3%e3%81%8f%e3%80%91%e5%bd%a2%e3%81%a0%e3%81%91%e3%81%ae%e3%83%9e%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%82%92/]

そして何より重要なのは、「危険を感じたらケアや面談を途中で中断して退去してよい」「その現場の判断を組織は全力で支持し守り抜く」という明確な方針をトップが宣言することです。この保証がなければ、真面目な現場の職員ほど危険な場に留まり続けて被害を拡大させてしまいます。

まとめと結び

病気や怪我と向き合う患者さんやご家族の多くは、強い不安や痛み、日常を失う喪失感の只中にいます。そのやり場のない感情が強く表出されること自体は、ある意味で自然なことであり、一方的に責められるべきものではありません。私たちが備えるべきなのは、患者さんという「人」を疑うことではなく、万が一感情が暴走してしまったときの「状況」に備えることです。

患者さんの安全を守り抜くためには、まず支援者である職員自身の安全が確保されていなければなりません。自分自身が安全な位置を確保することは、相手を敵視し壁を作ることではありません。自分の安全が担保され、余裕を持って落ち着いて対応できる環境があるからこそ、相手の辛い心情や理不尽な怒りに対しても、逃げずにしっかりと耳を傾けることができるのです。退路が確保されているという安心感こそが、対人援助職としての揺るぎない冷静さとプロフェッショナリズムを支える土台となります。

明日の業務から、移動の際に少しだけ自分が先に動く意識を持ってみてください。面談室で座る席を一つ入れ替えてみてください。その小さな物理的変化と意識の持ち方が、ハラスメント対策の最も基本的で実効性のある確実な第一歩となります。

私は、元警察署長としての危機管理経験や、財務省・国税庁への出向経験を経て、現在は看護学校の講師や白十字病院の防犯対策室長、さらには福岡市医師会の安全対策支援アドバイザーを務めております。これまで依頼に応じて市内の病院で数多くの相談対応や研修・講話を行ってまいりました。もし組織の安全管理やハラスメント対応などでお困りのことや、ご相談になりたいことがあれば、どうぞ遠慮なく柴田建一(シバケン)までご相談ください。また、担当者が個別でお悩みの場合もあるようですので秘密は厳守しますのでご安心してお気軽に。

👉 公的エビデンス:厚生労働省の公式指針はこちら 組織として講ずべきハラスメント対策の公的な基準については、厚生労働省発出の以下の指針をご確認ください。 【厚生労働省】労働施策総合推進法に基づく「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(令和8年厚生労働省告示第51号)」 (https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf

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