【応召義務の大転換】元警察署長が教える医療現場のカスハラ対策と悪質な医療費未払いへの正しい対処法

日々の医療現場で、患者さんからの心無い言葉や理不尽なクレーム、あるいは正当な理由のない医療費の未払いに頭を悩ませている医療従事者や経営者の方は多いのではないでしょうか。「医師法が定める応召義務があるから、どんなにひどい態度を取られても診療を断ることはできない」と、現場のスタッフが涙を飲んで耐え忍んでいるケースを、私もこれまで数多く目の当たりにしてきました。

しかし、社会のルールは確実に変わってきています。このブログを読むことで、かつては「絶対」とされていた応召義務の解釈が現在どのように変化しているのか、そして悪質なカスハラ(カスタマーハラスメント)や未払いに対して、医療機関としてどのように正当に立ち向かい、職員を守るための具体的な解決策を講じればよいのかが明確になります。

本ブログでは、行政の解釈を変えた歴史的な背景から、実際の裁判例に基づく「客観的な事実の積み重ね方」、そして現場を守るための仕組みづくりまで、実務に直結する知見を詳しく解説していきます。

目次

社会を揺るがす「事件」が、法律と行政の解釈を変える

先日、改めて2019年(令和元年)12月25日に厚生労働省が発出した通知「応召義務をはじめとした診療治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」(医政発1225第4号)を深く読み返す機会がありました。

👉厚労省の公的一次資料一読ください。
「応招義務をはじめとした診察治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」(医政発1225第4号)
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000581246.pdf

👉 なお、迷惑行為がせん妄や精神疾患など本人の病状に起因し、客観的な悪意の有無を判断しづらいケースについては、以前のブログで詳しく解説しています。あわせてぜひご覧ください。
【現場の勘違いに警鐘】「せん妄はカスハラではない」が引き起こす医療現場の危機と正しいペイハラ対策https://shibaken-poli.com/2026/08/25/%e3%80%90%e7%8f%be%e5%a0%b4%e3%81%ae%e5%8b%98%e9%81%95%e3%81%84%e3%81%ab%e8%ad%a6%e9%90%98%e3%80%91%e3%80%8c%e3%81%9b%e3%82%93%e5%a6%84%e3%81%af%e3%82%ab%e3%82%b9%e3%83%8f%e3%83%a9%e3%81%a7%e3%81%af/

この通知は、医師法19条が定める「応召義務」、すなわち「医師は正当な事由がなければ診療を拒んではならない」という大原則について、「正当な事由」の解釈を現代の社会情勢に合わせて具体的に整理し直した、極めて重要な文書です。

これは、単なる法解釈の技術的な更新ではありません。行政が発出する通知というものは、常に社会の空気を映す鏡であり、社会の急激な変化を後追いする形で少しずつ書き換えられていく性質を持っています。そして、行政の解釈が変わる背景には、たいてい裁判例の蓄積があり、さらにその奥には社会全体を揺るがした具体的な「事件」が存在します。

例えば、飲酒運転の厳罰化も、SNS上の誹謗中傷に対する侮辱罪の法定刑引き上げも、働き方改革による時間外労働規制の強化も、いずれも痛ましい事件や事故が先にありました。それが社会問題として広く認知され、世論の大きなうねりとなり、ようやく法律や通知という形に結実しているのです。時間外労働規制の強化について言えば、大手広告代理店の新入社員が過重労働を苦に自ら命を絶った事件が大きな転換点のひとつであったことは、過酷なシフトで働く医療現場の皆様もよくご存じの通りです。

「事件がなければ、社会は、そして行政は動かない」。

私がかつて警察に身を置いていた頃、「事件がないと警察は動けないんでしょう」という趣旨のことを揶揄まじりに言われた経験は一度や二度ではありませんでした。もちろん私自身は、事件性の芽を放置せず、未然に防ぐために積極的に動いていたつもりです。しかし、そうした声を耳にするたび、社会のシステムが本気で動き出すには、悲しいことですが「事件」という重みが必要なのだと痛感させられたものです。

医療現場におけるハラスメントも同様です。多くの医療従事者が心身を削りながら耐え続けてきた事実が積み重なり、ついに国を動かすに至ったのが、この令和元年通知なのです。

令和元年通知の大転換:カスハラ(迷惑行為)による診療拒否の明文化

この令和元年通知が大きく書き換えたのは、終戦直後の昭和24年9月10日付けで出された通知における解釈でした。昭和24年の通知は、「基本的にいかなる場合であっても診療を拒否することはできない」という、極めて厳格で硬直的な姿勢を示すものでした。

それから約70年もの歳月を経て、令和元年通知では「正当な事由」の中身が個別事例ごとに整理されました。具体的には以下の5つの類型が示されるに至っています。

  1. 患者の迷惑行為
  2. 医療費不払い
  3. 入院患者の退院や他の医療機関への転院
  4. 差別的な取扱い(感染症などを理由とした不当な拒否の禁止など)
  5. 外国人患者への対応

この中で筆頭に掲げられているのが「患者の迷惑行為」です。通知では、「診療・療養等において生じた又は生じている迷惑行為の態様に照らし、診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合には、新たな診療を行わないことが正当化される」と明記されました。具体例としては、「診療内容そのものと関係ないクレーム等を繰り返し続けること」などが挙げられています。

この大きな転換の背景には、同じ2019年に労働施策総合推進法が改正され、事業主にパワーハラスメント防止措置が義務付けられた社会的な動きがあります。さらに、その国会審議(参議院厚生労働委員会)における附帯決議の中で、「顧客等からの著しい迷惑行為(いわゆるカスタマーハラスメント)の防止」および「医療・介護等におけるハラスメントの防止」への対策を検討するよう政府に求める内容が、名指しで明確に盛り込まれました。

全国の職場でカスハラが看過できない社会問題として認知された同じ年に、医療の現場における患者からのハラスメント、いわゆる「ペイシェントハラスメント(ペイハラ)」への対応も、行政の解釈としてついに一歩踏み出したわけです。

ちなみに、この2019年時点での附帯決議はあくまで努力目標にとどまるものでしたが、その後さらに法的な義務へと格上げされることが決定しています。令和8年(2026年)10月1日からは改正労働施策総合推進法が施行され、事業主にはカスタマーハラスメント対策が明確に「義務化」されます。(参考:厚生労働省「令和8年10月1日からハラスメント対策が強化されます!」)

方針の明確化と周知、相談体制の整備、事実確認の迅速化、被害者への配慮、悪質ケースへの対処体制の構築など、具体的な措置を講じることがすべての医療機関に求められます。もはやペイハラ対策は、現場スタッフの個人的な自衛策ではなく、法制度そのものに裏打ちされた「経営課題」へと格上げされたと深く理解しておく必要があります。

これらの義務項目は、そのまま病院やクリニックが患者由来のハラスメントに向き合う際の「実務チェックリスト」として活用できるはずです。

医療費不払いという、もうひとつの大転換

迷惑行為と並んで、もう一つ大きな転換があったのが「医療費不払い」の扱いです。

昭和24年通知の考え方は、「お金がないことを理由に診療を拒んではならない」という絶対的なものでした。令和元年通知も、人命に関わる医療の性質上、この大原則自体は維持しつつも、現場の実態に即して次のように整理を行いました。

「以前に医療費の不払いがあったとしても、そのことのみをもって診療しないことは正当化されない。しかし、支払能力があるにもかかわらず悪意を持ってあえて支払わない場合等には、診療しないことが正当化される」

さらに、「医学的な治療を要さない自由診療(緊急性のない美容医療など)において支払い能力を有さない患者を診療しないこと等は正当化される」とも述べています。自由診療分野で支払い能力のない患者の診療を断ることが正当化されるというのは、すでに現場の実務感覚として広く受け入れられているものと一致するでしょう。

一方で、日々の保険診療については、「特段の理由なく自己負担分の未払いが重なっている場合には、悪意のある未払いであることが推定される場合もある」という、一段階踏み込んだ書きぶりになっています。ただし、これはあくまで「推定される場合もある」という慎重な表現にとどまっている点に注意が必要です。

そもそも、患者さんと医療機関の間に結ばれる「診療契約」とは、民法上は準委任契約や請負的要素を含む「双務契約」にあたります。双務契約とは、医療機関が「最善の診療を提供する」という義務を負うのに対し、患者側も「医療費という対価を支払う」という義務を負い、双方が義務を果たして初めて成立する契約のことです。

双務契約である以上、患者さん側の一方的な未払いという事実だけを取り出して直ちに契約解除(診療拒否)を判断することはできません。「契約の本来の目的に従った行動」がなされているかどうかは、患者側の支払状況と、医療機関側の説明・対応の両方を突き合わせて初めて客観的に判断できるものなのです。この構造を正しく理解しておくことが、次に述べる「悪意」の見極めにも直結してきます。

「悪意のある未払い」と「信頼関係の破綻」をどう見極めるか

では、通知にある「支払能力があるにもかかわらず悪意を持ってあえて支払わない」とは、具体的にどのような状態を指すのでしょうか。通知そのものに詳細なチェックリストは書かれていませんが、私なりに長年の事案対応の現場感覚で言い換えるなら、次のようなケースが典型例になります。

例えば、高級なタワーマンションに居住し、自動車を定期的に買い替えるなど、誰の目から見ても明らかに相応の支払い能力を有すると推認される生活実態があるにもかかわらず、医療費の窓口支払いになると「今、手持ちがない」「お金がない」と主張していつまでも支払わない。こういった状況は、「悪意のある未払い」のわかりやすい例と言えるでしょう。

逆に言えば、単に「自己負担分の未払いが数回重なっている」という事実だけでは、法的に悪意を証明し、直ちに診療を拒否する根拠としてはまだ弱いのです。

そこに、感情に任せて「治療の結果が出なければ金は払わない」といった理屈にならない理屈をつける、あるいはスタッフに対して大声で威圧する、長時間の不退去で業務を妨害するなどの「不当な要求」が加わる。支払いを先延ばしにするための手段そのものが、社会的に許容される範囲を完全に逸脱している。このような迷惑行為(カスハラ)の要素がセットになって初めて、「悪意ある未払いによる信頼関係の完全な破綻」という評価に到達するのが、実際の実務感覚に近いと考えます。

実際、信頼関係の喪失を理由とした診療拒否をめぐる裁判例として、東京地方裁判所・令和3年3月30日判決があります。この事案では、患者本人の関与を裏付ける客観的な証拠がないままに医療機関側が診療を拒否したことが「違法」と判断されました。

この判決自体は、患者と第三者とのトラブルを理由にした事案ではありますが、非常に重要な教訓を含んでいます。それは、「信頼関係が損なわれた」と法的に評価するためには、医療機関側の主観的な不安や推測ではなく、患者自身の言動についての「具体的かつ客観的な事実の積み重ね」が絶対に必要である、という司法の厳格な姿勢です。

私が調べた範囲ではありますが、純粋に「医療費の未払い」という単一の事実のみを理由として診療拒否を全面的に正当と認めた裁判例は見当たりません。実務における判断の多くは、未払いに加えて、不当な要求や暴言といった逸脱した言動(カスハラ)がセットになって初めて、診療契約における信頼関係の破綻が客観的に認められ、結果として診療拒否の正当性が担保される傾向にあるように見受けられます。

現場を守るための鉄則:「やるべきことをやる」事案分析と解決の設計

先に述べた「双務契約」という構造を踏まえれば、万が一診療拒否という重い決断を下し、その正当性を法的に担保するためには、単に「患者さんがお金を払わない」「患者さんが怒鳴った」と主張するだけでは足りません。

医療機関の側にも、「私たちは医療プロフェッショナルとして、やるべきことをすべてやっている」という客観的な事実の積み重ねが不可欠なのです。ここでの「やるべきこと」とは、ハラスメントの事後対応や防御テクニックのことではありません。患者に施すべき本来の医療行為を、適切かつ確実に行っているかという点に尽きます。

  • 治療に関して十分な説明責任を果たしているか?
  • 問診や診察は適切に行っているか?
  • 検査データは確実に精査しているか?
  • それに基づいた適切な処方や治療を行っているか?

診療契約が双務契約である以上、もし医療機関側がこれらの「やるべきこと」をやっていなければ、患者側から「病院が債務の本旨に従った義務を履行していない」と主張され、正当に支払いを拒否されてしまいます。

逆に言えば、適切できちんとした医療を提供して自らの義務を完遂してこそ、法律上守られるべき正当性(要保護性)が生まれるのです。自分たちの業務が正当であるという確固たる基盤があってはじめて、「なぜこの患者は支払わないのか」——それが身勝手で不合理な理由によるものなのか、単なる感情に基づくものなのか、あるいはあえて支払わないことで不当な要求や嫌がらせを通そうとする目的なのか——という、未払いの真の理由や悪意を的確に把握し、追及することが可能になります。

これこそが、私が各病院でのハラスメント対策の研修講話でお伝えしている独自の「ペイハラ対策7箇条」のうちの1箇条、「やるべきことをやる」という鉄則の本質にほかなりません。

そしてもう1つ、現場の皆様に強く強調したいのは、悪意ある未払いや不当な要求の兆候が見えた段階での「早期の外部連携」の重要性です。

一番やってはいけないのは、院内の限られたスタッフだけで問題を抱え込み、現場の疲労感や感情論だけで診療の可否を決めてしまうことです。これでは、後になって第三者(裁判所や行政)に対して「信頼関係の喪失」を客観的に論理立てて説明できず、正当な事由が認められないリスクが跳ね上がります。

不穏な空気を感じたら、早めに専門家や弁護士に相談して法的な整理を得ておくこと。暴力的な言動や悪質性が高い場合には、躊躇せずに早めに警察へ情報共有(相談記録を残す)をしておくこと。医師会などの専門機関に相談し、地域全体の課題として共有しておくこと。

これらはすべて、医療機関自身と、そこで懸命に働く大切な職員を守るための、地に足のついた極めて実務的な選択肢なのです。

まとめ:社会の動きを捉え、組織を守る仕組みを

本ブログでは、行政の通知や裁判例を読み解きながら、医療現場におけるカスハラ(ペイハラ)や医療費未払い問題への正しい向き合い方について解説してきました。

令和元年通知は、迷惑行為と医療費不払いという2つの局面において、「いかなる場合も診療を拒めない」という戦後まもなくの古い原則を大きく修正し、行政として初めて診療拒否の正当性を具体的に語った画期的な通知です。

しかしそれは決して、「医療機関が気分次第で自由に診療を拒否できるようになった」という意味ではありません。医療機関自身が本来の医療行為という「やるべきことをやっている」誠実な前提と、信頼関係の喪失を裏付ける客観的な事実の積み重ねがあって初めて、正当な事由として認められるという厳格な枠組みは維持されています。

事件が社会を動かし、社会が法律や通知を動かす。そうした大きな時代の流れの中に、自分たちの現場があることを知っておくことは、日々患者さんと真摯に向き合う医療従事者の皆様、そして組織の経営を担う方々にとって、決して無駄な知識ではないはずです。むしろ、これからの時代を生き抜くための必須の防衛術と言えるでしょう。

私は、元警察署長としての危機管理経験や、財務省・国税庁への出向経験を経て、現在は看護学校の講師や福岡市医師会の安全対策支援アドバイザーを務めております。これまで依頼に応じて、市内の病院で数多くの具体的な事案の相談対応や、現場スタッフ向けの研修・講話を行ってまいりました。

もし現在、組織の安全管理や悪質なハラスメント対応などでお困りのこと、あるいは「このケースはどう対応すべきか」とご相談になりたいことがあれば、どうぞ遠慮なく柴田建一(シバケン)までご連絡ください。経営層の方はもちろん、現場の担当者様が個別で深くお悩みの場合もあるかと思いますが、どうか一人で抱え込まず、ご安心してお気軽にお声がけください。共に現場を守るための仕組みづくりを考えていきましょう。

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