導入:最前線で命と向き合う皆様へ
日々の業務において、患者様や利用者様の命と健康を守るために尽力されている医療・介護従事者の皆様、本当にお疲れ様です。目の前のケアに心を砕く一方で、理不尽な要求や心無い言葉、時には身体的な接触などに悩み、「自分さえ我慢すれば波風は立たない」と一人で抱え込んでしまっている方はいらっしゃいませんか。
本ブログでは、先日私が行った研修会に寄せられた約100名のリアルなアンケート結果を紐解きながら、医療現場を苦しめるハラスメントの現状と、法改正を見据えた具体的な解決策をお伝えします。このブログを読むことで、現場の最前線に立つ方々が「毅然と対応してよいのだ」という安心感を得て、我慢する文化から脱却し、組織としてスタッフを守るための具体的な一歩を踏み出すことができるはずです。
100名の受講者アンケートが教えてくれた「現場のリアル」
先日、在宅医療や在宅介護に従事する多職種の方々、約100名を対象に研修講話を行う機会をいただきました。医師、歯科医師、看護師、介護士、ソーシャルワーカー、ケアマネージャーなど、実にさまざまな職種の方が一堂に会する貴重な場でした。私はそこで、「我慢する文化を変えていこう」というテーマで、1時間あまりお話をさせていただきました。
後日、事務局の方がアンケート結果をまとめて送ってくださいました。「今回の研修は役に立ちそうですか」という問いに対し、「役に立つ」「まあまあ役に立つ」を合わせて85%、残り15%は未回答という結果でした。また、「今後の研修会の希望」についても、オンラインでの開催より、対面や少人数のグループワークを望む声が圧倒的に多かったのです。
数字だけを見れば、講師としてはまずまずの評価をいただけたのかもしれません。ですが、私が本当に心を動かされたのは、パーセンテージの向こう側にある、受講者一人ひとりの切実な自由記述でした。日々の過酷な業務でお疲れのところ、ご自身の体験や本音を正直な言葉で書き残してくださったこと自体が、私にとっては大変ありがたく、同時に重い責任を感じる出来事でした。本日は、その切実な声の中身と、そこから見えてくる課題について深く掘り下げていきたいと思います。
なぜ私はこの仕事を続けているのか
本題に入る前に、少しだけ私の背景についてお話しさせてください。私はそもそも、「社会のために尽くしたい」「困っている人を助けたい」「悪いことをする者は絶対に許さない」という強い思いで福岡県警に入り、37年間、その信念を一ミリもぶらすことなく勤め上げました。特別な能力や取り柄があったわけではありません。ただ、ひたすらこつこつと努力を積み重ね、一度決めたら迷わずまっすぐ進む。それだけを情熱を持ってやり続けてきました。自分を例えるなら、まさに「情熱を持ったシャクトリムシ」です。気がつけば、いつの間にかこんなところまで来ていた、というのが正直な実感です。
定年退職後も、その志は少しも衰えませんでした。そんな折、福岡市医師会からお声がけをいただきました。医療機関はそれぞれが独立した小さな組織でありながら、その中で多くの職員と患者様が接し、日々さまざまな問題やトラブル、悩みが生まれています。「その対応をサポートしてもらえないか」というご依頼でした。
ご相談をお受けする中で、圧倒的多数を占めていたのがハラスメントの問題です。世間一般ではカスタマーハラスメント(カスハラ)と呼ばれますが、医療現場においては患者様からの嫌がらせという意味でペイシェントハラスメント(ペイハラ)とも呼ばれます。地域の医療のために命懸けで尽力している医療従事者が、理不尽なクレームや暴力によって医療の提供そのものを妨げられ、心身を病んでいく。その結果、助けられるはずの命が助けられなくなる。そのようなことは、決してあってはなりません。
医療従事者を支え、守ることは、その先にいる地域の皆様の命と健康を守ることへ直結します。そう固く信じ、このお話をお引き受けしてから、早いもので3年以上の月日が経ちました。
👉私がこの活動を始めた当初の熱い思いや、根底にある揺るぎない志については、記念すべきブログ第1回の記事でも詳しく綴っています。私の原点となる決意を記しておりますので、ぜひこちらも併せてご覧ください。
『福岡県の医療現場に「安心」を。シバケン(柴田建一)のカスハラ(ペイハラ)対策、はじめまッス!』
(https://shibaken-poli.com/2026/04/01/%e6%9f%b4%e7%94%b0%e5%bb%ba%e4%b8%80/)
法制化が突きつける「事業主の責任」と組織のあり方
時代のめぐり合わせとも言うべきでしょうか。これまで長きにわたり現場の医療従事者を苦しめてきたカスハラについて、大きな転換点が訪れています。労働施策総合推進法の枠組みの中で、ついにカスハラ対策が事業主の義務となる方向で議論が進み、令和8年(2026年)厚生労働省告示第51号「事業主が講ずべき措置等についての指針」として、2026年10月1日から事業主に法的な対応責任が課されることになったのです。
これは極めて重大な意味を持ちます。裏を返せば、「患者様からの理不尽なハラスメントは許されない不法行為であり、組織はそれを放置してはならない」と、国や法律が明確に位置づけたということです。
もともと、労働契約法第5条には、事業主が従業員の生命、身体、および安全を確保しつつ労働できるよう配慮する「安全配慮義務」が定められています。これからの時代、現場のスタッフがカスハラ被害を訴えているにもかかわらず、組織の経営層や管理職がそれを見て見ぬふりをしたり、「穏便に済ませておいて」と放置したりすることは、明確な法令違反(安全配慮義務違反)となります。場合によっては、経営陣の善管注意義務違反として厳しく責任が問われる事態にも発展しかねません。
これまで医療従事者の皆様は、資格取得の段階から現場に出た後まで、「患者様に寄り添うこと」を徹底的に教え込まれてきました。怒りや不安、不満、批判をぶつけてくる患者様やそのご家族に対しても、真摯に耳を傾け、気持ちに寄り添って乗り越えていくことが美徳とされてきました。しかし、そこに今回、「毅然とすべきところは毅然としていいのだ」という、法律による強力な後押しができたのです。だからこそ、このカスハラへの具体的な対策と対応の仕組みづくりは、いまや医療現場にとって先送りにできない喫緊の課題となっています。
ペイハラの4つの類型と、ある女性薬剤師の告白
私は普段、研修や講話の中で、患者様やご家族からの迷惑行為を以下の4つの類型に整理してお伝えしています。
- 反復・不当時間拘束型(同じクレームを執拗に繰り返し、長時間拘束する)
- 患者権威・不当要求型(「誰のおかげで飯が食えているんだ」と特別扱いを要求する)
- 暴言・威嚇・強要型(大声を出す、脅す、土下座を強要する)
- セクハラ・わいせつ型(不必要な身体的接触や、性的な発言を行う)
今回のアンケートの自由記述の中に、独居のご高齢の利用者様宅を訪問しているという、ある女性薬剤師の方からの切実なご意見がありました。 「訪問の際、手を握られたり、脚を触られたりすることがあった。相手はご高齢で力も弱く、自分自身も決して若くはないので、これまでは軽く受け流して過ごしてきた。ただ、もし自分が若い看護師だったら、きっと怖いだろうと、いつも心のどこかで不安に思っていた」というのです。
この薬剤師の方が受けた行為は、明らかに4つ目の「セクハラ・わいせつ型」に該当する深刻な問題です。
三木明子氏(関西医科大学看護学部教授)らによる厚生労働行政推進調査事業の報告(対象看護職員5,341名、2020年公表)という公的なデータによれば、患者や利用者からの被害のうち、身体的暴力が67.7%、精神的暴力が21.8%であるのに対し、セクシュアルハラスメントも13.7%にのぼるという衝撃的な結果が出ています。
一般の対人サービス業(小売りや飲食など)において、お客様からの迷惑行為として性的な言動がここまで突出して多いという調査結果はあまり見かけません。医療や介護という「相手の身体に直接触れる」仕事であり、なおかつ訪問看護や在宅医療のように「自宅という密室で一対一になる」という業務の特性そのものが、この種のハラスメントのリスクを極端に高めているのだと私は分析しています。
「自分さえ我慢すれば」が引き起こす負の連鎖
私が研修の場で必ず、そして最も力を込めてお伝えしていることがあります。それは、「あなたが我慢できたとしても、その加害者は必ず他の職員にも同じことをしている」という事実です。
先ほどの薬剤師の方のように、「自分は年齢や経験を重ねているから、うまくかわせた」「相手は高齢だから仕方ない」「病気のせいだから」と、自分一人の忍耐でやり過ごしてしまうことは少なくありません。医療従事者の方々は本当に優しく、責任感が強いため、自分を犠牲にしてでも丸く収めようとしてしまう傾向があります。
しかし、その不適切な行為を現場で許容してしまえば、他の誰か、例えば経験の浅い若いスタッフや、他部署の職員がすでに被害に遭っているかもしれません。あるいは、これから甚大な心の傷を負うかもしれないのです。
目の前の不適切な行為を、自分一人の我慢や、いなすことだけで終わらせてはいけません。毅然として「そのような行為はおやめください」と伝えること。そして、自分のこととしてだけでなく、組織全体、そこで働く大切な仲間全体を脅かすリスクとして捉えること。この意識の転換こそが、我慢する文化からの脱却であり、最大の防御となります。
看護師の悲痛な叫びが映し出した「組織の温度差」
別の看護師の方からは、さらに深刻な声が寄せられました。 「患者様から2時間以上にわたり同じ内容の訴えを受け続けたことがある」 「気に入らない職員を名指しして『あいつをクビにしてほしい』と迫られた」 「人格否定や差別的な発言を受けたことがある」
この方は、今回の研修で具体的な対応の仕方を学べたことに対し、ありがたい感想をくださいました。しかしその一方で、次のような一文が添えられていたのです。 「ただし、事業主(上司や経営層)の対応は今回の研修内容と対極にあります。何でも受け入れる姿勢です。ですので、まず自分自身がしっかり対応の仕方を身につけたいと思います」
「まず自分にできることから始めよう」というこの看護師さんの前向きな姿勢は、本当に尊く、素晴らしいものです。私も講話の中で「身近なところからできることをやりましょう」と繰り返し訴えています。しかし同時に、この一文は、医療現場に深く根付く「厳しすぎる現実」を残酷なまでに映し出しています。
現場のスタッフがどれだけ危機感を抱き、意識を高めても、上司や経営層、あるいは一部の医師の意識が希薄なままでは、組織としての防衛策は一向に進みません。せっかく職員一人ひとりが「毅然としていいのだ」「自分を守っていいのだ」と気づいても、それを受け止め、後押しする「組織の器」がなければ、その気づきは職員個人の中で孤立し、やがて「何を言っても無駄だ」という深い無力感へと変わってしまいます。
だからこそ、2026年10月からの法制化の動きは、現場のスタッフ以上に、経営層や管理職に対して強く届けなければならない強烈なメッセージなのです。個人の頑張りや忍耐だけに委ねるのではなく、組織全体として毅然と対応する「仕組み」をつくること。その重要性を、現場の叫びが突きつけています。
「契約書」という強力な盾と法的な備え
組織としての仕組みづくりにおいて、非常に前向きな反応もありました。あるケアマネージャーの方からは、「特に『契約書』に関する件は大変参考になりました。日頃の業務ですぐに役立つことがたくさん聞けました」という感想をいただきました。
この感想を読んで、私は「今日からでもすぐに、現在使用している契約書や利用規約の内容を見直してほしい」と強く念じました。契約書の整備とは、単なる事務作業ではありません。事前の備えを行うこと、そして「私たち組織は、従業員を守るために不当な要求には屈しません」という姿勢を外部に堂々と示す、最も有効な手段の一つです。
医療機関には医師法第19条に基づく「応召義務(正当な事由なく診療を拒んではならない義務)」があるため、「患者様の要求を断ることはできない」と誤解されているケースが多く見受けられます。しかし、令和元年(2019年)の厚生労働省通知において、「患者等からの迷惑行為(暴言、暴力、セクシャルハラスメント等)により、医師や医療機関との信頼関係が破壊され、診療の継続が不可能な場合は、診療を拒否する正当な事由に該当する」という見解が明確に示されました。
この公的な解釈を背景として、入院時の誓約書や、訪問看護・介護の利用契約書の中に、「スタッフに対する暴言、暴力、セクシャルハラスメント、長時間の不当な拘束等が行われた場合、直ちに契約を解除し、診療やサービスの提供を中止することがある」といった「ハラスメント対応条項」を明記しておくのです。
これにより、いざという時に「契約に基づき、これ以上の対応はお断りします」と、現場のスタッフが毅然と線を引くための強力な「盾」となります。実務にすぐ活かせる、というお声をいただけたことは、私にとって何より嬉しい瞬間でした。
外部の力を頼る勇気を持とう
契約書の見直しや、院内における報告・対応マニュアルの整備などは、決して医療機関の中だけで抱え込む必要はありません。むしろ、閉鎖的な環境で悩むよりも、外部の専門家の知見を積極的に取り入れるべきです。
医師会や外部の専門アドバイザー、労働問題に詳しい顧問弁護士、そして悪質な事案であれば所轄の警察署など、それぞれ得意な領域を持つ相談先が必ず存在します。「誰に、何を、どの段階で相談すればよいのか分からない」というお声もよく耳にしますが、事態が深刻化し、スタッフが休職や退職に追い込まれてから動くのでは遅すぎます。体制づくりの初期段階から、あるいは「少しおかしいな」と感じた時点から、遠慮なく外部の力を頼っていただきたいと思います。適切な第三者が介入することで、患者様側も冷静さを取り戻すケースは多々あります。
私たちが目指すべき「ハラスメント・ゼロ」の現場へ
一つ一つの意識改革や、小さなルールの見直しは、最初は些細なものに見えるかもしれません。しかし、今回の研修に参加してくださった100名近い方々全員が、この「毅然と対応する」という意識をそれぞれの現場に持ち帰ってくだされば、その波及効果は10倍にも100倍にもなります。私は、地域の医療・介護現場から、カスタマーハラスメントがゼロになる日が来ることを心から願ってやみません。
そして、今回の研修に対してこれほどまでに喜び、期待の声を寄せてくださる方々がいるという事実は、同時に私自身への強い戒めでもあります。まだまだ私の目が行き届いていない現場、情報や支援の手を広げられていない場所が、数多く存在しています。もっとしっかりと現場に足を運び、皆様の生の声に耳を傾けなければならない。今回のありがたい出来事は、責任ある立場として、これからも泥臭く、一歩一歩やり続けていこうという決意を新たにする機会となりました。
私は、元警察署長としての危機管理経験や、財務省・国税庁への出向経験を経て、現在は看護学校の講師や福岡市医師会の安全対策支援アドバイザーを務めております。これまで依頼に応じて市内の病院で数多くの相談対応や研修・講話を行ってまいりました。もし組織の安全管理やハラスメント対応などでお困りのことや、ご相談になりたいことがあれば、どうぞ遠慮なく柴田建一(シバケン)までご相談ください。また、担当者が個別でお悩みの場合もあるようですが、安心してお気軽に。
本日も最後までブログをお読みいただき、誠にありがとうございました。日々、現場の最前線で患者様や利用者様と真摯に向き合っておられる医療・介護従事者の皆様に、心からの深い敬意を表します。今日もお疲れ様です。一人で抱え込まず、ともに働きやすい環境をつくっていきましょう。
【事案分析と解決の設計士:柴田 建一(シバケン)】
👉 公的エビデンス:厚生労働省の公式指針はこちら 組織として講ずべきハラスメント対策の公的な基準については、厚生労働省発出の以下の指針をご確認ください。 【厚生労働省】労働施策総合推進法に基づく「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(令和8年厚生労働省告示第51号)」 (https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf)

