【改正労働政策総合推進法】2026年義務化!厚労省指針を絵に描いた餅にしないペイハラ根本規程の作り方

医療従事者の方々が日々の業務のなかで、患者さんやそのご家族からの理不尽な要求、長時間の居座り、暴言、あるいはSNSへの無断投稿などに心を痛めるケースが急増しています。こうした医療現場における悪質なクレームや嫌がらせは「ペイシェントハラスメント(ペイハラ)」と呼ばれますが、法律上は一般的なビジネスシーンと同様に「カスタマーハラスメント(カスハラ)」として扱われます。

2026年10月1日より、事業主に対してこのカスハラ対策が法的に義務付けられることとなりました。これを受け、多くの病院経営陣や事務部門の方々が「厚生労働省の指針どおりにマニュアルを作って対応すればよい」と安心しがちですが、実はそこに組織防衛上の大きな落とし穴があります。

このブログを読むことで、なぜ国が示す指針だけでは不十分であり、病院独自の「根本規程」を作ることが現場の職員を救う具体的な解決策になるのか、その理由と仕組みづくりの全貌をご理解いただけます。

目次

個人情報保護規程は作るのに、なぜカスハラ対策規程は作らないのか

現在、ほとんどの医療機関には、個人情報保護法を根拠とした「個人情報保護規程」や、各団体が示すガイドラインに沿った「医療倫理規程」が備わっています。これらは法律の条文そのものではありませんが、抽象的な法律の趣旨を「自分たちの病院の言葉」に翻訳し、日々の現場で職員が判断に迷ったときの物差しにするために、各病院が自主的に作ってきたものです。

ところが、間近に迫るカスハラ対策についてはどうでしょうか。個人のプライバシーを守るための規程は分厚く整備されているのに、現場で働く職員の心身の安全に直結するハラスメント対応について、確固たる院内ルール(規程)を設けないというのは、非常にアンバランスな状態だと言わざるを得ません。

国が示す指針は、あくまで全国のあらゆる業種に向けた「最低限講ずべき措置の一覧表」にすぎません。病院という特殊で複雑な組織が、日々の現場でギリギリの判断に迫られたときに立ち返るべき「根本となるルール」にはなり得ないのです。

法律の根拠を正確に押さえる:2026年義務化と安全配慮義務

課題の根本解決を図るためには、まず法律の根拠を曖昧にせず、正確に確認しておく必要があります。

2025年6月11日に公布された「改正労働施策総合推進法」では、新たに第33条と第34条という二つの重要な条文が新設されました。具体的には以下のような構成になっています。

第33条第1項では、事業主に対して、顧客等の言動により労働者の就業環境が害されることのないよう、相談体制の整備など雇用管理上必要な措置を講ずることを明確に義務付けています。続く第2項では、職員が相談を行ったことなどを理由とする不利益な取り扱いの禁止を定め、第3項では他の事業主から協力を求められた場合の努力義務、第4項では厚生労働大臣が具体的な指針を定める旨を規定しています。

さらに第34条では、国、事業主、労働者、そして顧客等(医療機関であれば患者や家族)それぞれの責務を定めています。ここでは事業主に対して労働者への教育啓発の努力義務を課すとともに、役員を含む経営陣自身の責務までもはっきりと書き込んでいる点が非常に画期的です。単なる現場のクレーム対応ではなく、経営課題として明記されたのです。

これらを受けて、2026年2月26日に「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和8年厚生労働省告示第51号)が示されました。この指針は大きく五つの柱(方針の明確化、相談体制の整備、迅速な対応、抑止措置、プライバシー保護と不利益取扱いの禁止)で構成されています。

👉 公的エビデンス:厚生労働省の公式指針はこちら 組織として講ずべきハラスメント対策の公的な基準については、厚生労働省発出の以下の指針をご確認ください。 【厚生労働省】労働施策総合推進法に基づく「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(令和8年厚生労働省告示第51号)」 (https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf)

加えて忘れてはならないのが、労働契約法第5条が定める「安全配慮義務」です。病院側がカスハラを放置し、その結果として看護師や医師が精神疾患を発症してしまった場合、病院は職員に対する安全配慮義務違反として、多額の損害賠償責任を問われる裁判例も増えています。法的な義務化は、組織を守るための強力な後押しでもあるのです。

指針だけでは現場が動けないという「心理的な壁」

厚労省の指針を一通り読むと、具体的な対策のメニューが豊富に用意されていることに気づきます。啓発のためのポスター作成、複数名での対応の徹底、対応マニュアルの整備、被害に遭った職員へのメンタルケア、悪質事案に対する警察への通報や警告文の発出などです。これらはすべて「講じ得る措置」として指針の中に登場します。

しかし、これらの情報をただ受け取った現場の管理職やスタッフの間に起きるのは、「材料や部品はたくさん渡されたが、これをどう組み立てて、最終的に誰が責任を持って判断するのかが分からない」という強い戸惑いです。

例えば、深夜の救急外来で、待ち時間に腹を立てた患者の家族が大声で理不尽な要求を繰り返している場面を想像してください。マニュアルに「複数で対応し、悪質な場合は毅然とした態度をとる」と書かれていたとしても、現場の職員は「どのレベルからが悪質とみなされるのか」「自分が勝手に警察を呼んで、後で病院幹部から『やりすぎだ』と責められないか」と不安になります。

この「心理的な壁」を取り払うためには、「うちの病院ではこういうケースはこのように扱う」という具体的な運用を明文化したルールが必要です。しかし、国の指針には「病院ごとの根本規程を作りなさい」という一文はどこにもありません。これが、私が今回あえて指摘したい組織防衛上の大きな空白なのです。

根本法がないことで生じる三つの機能不全

病院独自の「カスハラ対策の根本規程」が存在しないまま、マニュアルや小手先の対応策だけを走らせると、現場では主に三つの深刻な機能不全が生じます。

1. 判断の物差しを失う

規程によって明確な基準が定められていなければ、目の前で起きている患者の言動が、院内のどの対応レベル(傾聴して要望を伺う段階なのか、文書で警告する段階なのか、あるいは直ちに警察に通報する段階なのか)に該当するのか、担当者は毎回ゼロから属人的に判断せざるを得なくなります。これは現場のスタッフにとって極めて大きな心理的負担となります。

2. 趣旨に立ち返れない

そもそも何のための対策なのでしょうか。それは「職場環境の安全安心の確保」「職員の人権保護」、そして職員が安心して働けるからこそ実現できる「良質な医療サービスの提供と向上」です。こうした目的規定が根本ルールとして存在しなければ、トラブルが起きて対応に迷ったとき、「なぜ我々はこの毅然とした対応をとるのか」という原点に立ち返る基準を持てません。結果として、対応が単なる患者との我慢比べになってしまいます。

3. 予測可能性を持てない

院内でどのような措置が、どのような順序や責任体制で取られるのかが全職員に共有されていなければ、職員は「自分が被害の声を上げたら、その後どう扱われるのか」が分かりません。面倒な手続きに巻き込まれるだけではないか、自分のコミュニケーション能力が低いと評価が下がるのではないか。そうした不安が報告そのものを萎縮させ、事態を潜在化させてしまいます。

独自のフレームワーク:病院の法体系はピラミッドである

私は日頃、医療機関において組織のルール体系を構築する際、国の法体系になぞらえて「ピラミッド構造」としてお伝えしています。

病院にとっての憲法にあたるのが「就業規則」です。しかし、就業規則に個々の業務の細かな対応手順まで書き込むことは現実的ではありません。そこで、憲法の下に位置する「法律」にあたるものが必要になります。それが院内の各種根本規程です。個人情報保護規程や医療倫理規程と並んで、今回の「ペイシェントハラスメント防止対策規程」がまさにこの階層に位置づけられます。

そして、その規程の下に初めて、具体的な対応マニュアル、相談対応のフロー図、不当要求に対する警告文書のひな形といった「施行規則・様式集」がぶら下がる構造になります。

この構造で見たとき、厚労省の指針が示す五本柱は「法律に何を書くべきかの目次」であって、法律そのものではないことが分かります。だからこそ、病院は自らの手で、この目次をもとに血の通った条文化を行う必要があるのです。

実践!ペイハラ防止対策規程に盛り込むべき「9つの柱」

では、具体的にどのような規程を作ればよいのでしょうか。私が実際にひな形として提案し、現場の運用に落とし込んでいる構成は、以下の「9つの柱」から成ります。

第一の柱:目的の明確化

単なるクレーム処理ではなく、職場環境の安全確保、職員の人権保護、そして医療水準の維持向上につなげるための規程である旨を第一条で高らかに宣言します。

第二の柱:ハラスメントの定義

大声や暴力だけでなく、長時間の居座り、SNSでの誹謗中傷、無断録音・録画など、将来発生しうる新しい形態の嫌がらせにも対応できるよう、ある程度の抽象度と網羅性を保ちながら定義づけを行います。

第三の柱:病院の方針(トップの覚悟)

ここが最も重要です。「毅然とした対応をとる」「悪質事案には110番通報や法的措置も辞さない」という組織としての強い姿勢を、院長自身の言葉として明記します。これが現場で対応する職員の最大の盾になります。

第四の柱:相談窓口の設置

誰が窓口となり、どのような体制で情報を集約するのかを定めます。たらい回しを防ぐため、一元化された管理体制を規程に明記します。

第五の柱:職員の報告・情報共有義務

被害に遭った場合や目撃した場合、一人で抱え込まずに必ず組織へ報告することを義務付けます。これにより「個人の問題」ではなく「組織の課題」として引き上げます。

第六の柱:報告を理由とする不利益取扱いの禁止

声を上げた職員が、人事評価などで絶対に不当な扱いを受けないことを規程として固く約束し、組織内の心理的安全性を担保します。

第七の柱:病院として取り得る具体的な措置

文書による警告、警察への通報、弁護士を通じた法的措置などを段階的に明記します。 ここで医療機関特有の課題となるのが、医師法第19条が定める「応召義務(診療を拒んではならない義務)」との兼ね合いです。しかし、厚生労働省が2019年に出した通知(『応召義務をはじめとした診察治療の求めに対する適切な対応のあり方等について』)により、患者からの暴力や著しい迷惑行為がある場合は、診療を拒否する「正当な事由」に該当することが明確に示されています。こうした法的根拠も規程の背景にしっかりと組み込むことで、現場の医師やスタッフが自信を持って対応できるようになります。

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👉「患者さんに寄り添うべき」というこれまでの教育や、規程の伴わない形だけのマニュアルが足かせとなり、スタッフが萎縮して勇気ある対応をとれなくなる弊害については、以下の記事でも解説しています。現場を縛る応召義務の誤解を解き、組織としてスタッフを守るための考え方をぜひ併せてお読みください。 『【応召義務の呪縛を解く】病院スタッフを疲弊させる不当要求への正しい断り方と組織づくり』 (https://shibaken-poli.com/2026/09/18/%e3%80%90%e5%bf%9c%e5%8f%ac%e7%be%a9%e5%8b%99%e3%81%ae%e5%91%aa%e7%b8%9b%e3%82%92%e8%a7%a3%e3%81%8f%e3%80%91%e7%97%85%e9%99%a2%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%83%e3%83%95%e3%82%92%e7%96%b2%e5%bc%8a%e3%81%95/)

第八の柱:職員の協力義務

事案解決に向けて、ヒアリングへの協力や証拠保全(録音や詳細な記録の作成など)に職員が協力する義務を定めます。録音はプライバシー侵害だと恐れる職員も多いため、規程で「正当な業務行為」として裏付ける必要があります。

第九の柱:他事業所への加害禁止と教育研修

職員自身がプライベートで他のサービスの顧客となった際、加害者にならないための禁止条項を設けます。また、ルールを風化させないために継続的な教育研修を実施することを明記します。

これらはまさに、労働施策総合推進法の要請事項に一つずつ対応させた網羅的な構成です。同時に、就業規則にもこの根幹部分を落とし込んでおくことで、業務に関する規律としての法的な実効性が強固に担保されます。

早期の外部連携を規程に明記する意味

悪質なハラスメント事案においては、早期に外部の専門機関と連携することが被害の拡大を防ぐ最大の鍵となります。「病院の中だけで抱え込まない」という姿勢です。

規程の段階から、どのようなケースで警察に通報するのか、どの段階で顧問弁護士に相談するルートに乗せるのか、あるいは地域の医師会などの関係機関とどう連携するのかを条文として明記しておくべきです。

警察への通報は、直接的な暴力があった時だけでなく、大声で業務を妨害し続ける「威力業務妨害」や、退去を求めても居座る「不退去罪」などでも可能です。いざ目の前でそうした事態が起きたとき、現場の責任者が「今、警察を呼んでいいのだろうか」と迷わずに済むこと。「規程の第〇条に基づき、警察に通報します」と即座に動けること。これこそが、根本ルールが組織に提供すべき最大の機能なのです。

絶対に見落とせない壁:外部連携を適法にする「プライバシーポリシー」の改訂

早期の外部連携を規程に明記した上で、さらに重要かつ、現場において異常なまでの問題となっている事柄があります。それが、それぞれの病院における「プライバシーポリシー(個人情報保護方針)」の記載内容です。

大部分の病院のプライバシーポリシーは、厚労省や各団体が示すひな形をそのまま引用しているに過ぎません。そこには患者への医療提供や保険請求といった利用目的は書かれていますが、「職場環境の安全安心に関すること」というハラスメント対応を想定した記載はすっぽりと抜け落ちています。実体験として申し上げますが、私が指導に入る前、この利用目的をあらかじめ準備していた病院は「ゼロ」でした。現在、私は指導を通じて草の根的にこの重要性を広げていますが、依然として未着手の病院がほとんどです。

いくら院内のカスハラ対策規程で「外部機関と連携する」と定めても、肝心のプライバシーポリシーが改訂されていなければ、いざという時に加害者(患者等)の情報を外部と共有する際、個人情報保護法違反のリスクが生じてしまいます。

外部連携を真に適法かつ実効性のあるものにするためには、全病院が必ず、プライバシーポリシーに以下の要素を付け加える必要があります。

  1. 利用目的への追加:「職場環境の安全安心の確保に関する対応のため」という目的を明確に記載すること。
  2. 第三者への提供の明記:職場環境の安全安心に関し、情報を提供する第三者として「医師会、弁護士等専門家、警察、他の医療機関、その他関係機関」をはっきりと列挙すること。

これらを事前にプライバシーポリシーに定め、院内掲示等で公表しておくことで、初めて患者の医療情報を取り扱うのと同じように、病院間で情報を取得し、適法に利用することが可能になります。悪質な事案が発生した際、現場の責任者が萎縮することなく、堂々と連携して対応するための極めて重要なプロセスであり、全病院が必ず記載しなければならない項目なのです。

まとめと結び

本ブログでは、2026年の法制化を控え、なぜ病院自らがペイシェントハラスメントに対する「根本規程」を持たねばならないのかを解説してきました。

法律の義務化は、決して「厚労省の指針に書かれた項目を上から順にチェックして終わる」という表面的なものではありません。指針という国が示す最低限のメニューを、病院という一つの組織の文化や実情に合わせて翻訳し、目的から職員の義務までを一気通貫で定めた「独自の規程」を創り上げること。これこそが、ハード面(ルール)とソフト面(風土)の両輪を安定して回していくための土台となります。そして何より、しっかりとした規程を作ることは、経営陣から現場の職員に対する「病院は組織としてあなたたちを全力で守る」という最強のメッセージになるのです。

私は、元警察署長としての危機管理経験や、財務省・国税庁への出向経験を経て、現在は看護学校の講師や福岡市医師会の安全対策支援アドバイザーを務めております。これまで依頼に応じて市内の病院で数多くの相談対応や研修・講話を行ってまいりました。もし組織の安全管理やハラスメント対応などでお困りのことや、ご相談になりたいことがあれば、どうぞ遠慮なく柴田建一(シバケン)までご相談ください。また、担当者が個別でお悩みの場合もあるようですが、安心してお気軽に。

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